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2016年03月24日、六代目山口組舎弟だった後藤組『後藤忠政』元組長がカンボジアから日本に帰国したという情報があった。

帰国してすぐに東京都内の病院に入院したとみらているが、この帰国が山口組分裂抗争となにか関係しているのかどうか憶測を呼んでいるようだ。


山口組分裂抗争に影響か…元暴力団「大物」組長が極秘帰国、都内に入院
2016.03.26

(Business Journal) http://biz-journal.jp/2016/03/post_14435.html





このニュースのまとめ

  • 2016年03月24日、六代目山口組舎弟だった後藤組『後藤忠政』元組長がカンボジアから日本に帰国し、東京都内の病院に入院した。
  • 後藤元組長は四代目山口組若中、五代目山口組若頭補佐、六代目山口組舎弟を歴任して2008年に除籍処分されて引退。その後カンボジアに移住していた。
  • この帰国は山口組分裂抗争に関係したものなのか、抗争に何らかの影響があるのかどうか、動静が注目されている。


後藤忠政について

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後藤忠政は三代目山口組菅谷組『川内組』に加入して山口組入り、1969年に静岡県富士宮市で『後藤組』を結成した。川内組では若頭補佐を務めた。

1977年、川内組の川内弘組長の直参昇格を巡って菅谷組内部で対立が発生。菅谷組組長・菅谷政雄の命令で襲撃部隊が川内弘を射殺、この件で菅谷政雄は山口組から絶縁されることになる。

親分が殺され上部団体が絶縁となった後藤は浜松市の『伊堂組』へ舎弟として移籍した。1984年に四代目山口組が発足すると伊堂組組長・伊堂敏雄は引退。後藤は地盤を引き継いで四代目山口組の直参となった。

四代目山口組組長の座を巡って勃発した『山一抗争』では後藤組の構成員が一和会会長・山本広の自宅にダイナマイトを持参してダンプカーで突っ込むなどの武闘派ぶりを見せ付けた。

1992年には後藤組の組員が映画監督の伊丹十三を襲撃した。これは伊丹が暴力団を描いた映画『ミンボーの女』に関連したものだとされている。伊丹は1997年に自殺したが、この自殺にも後藤組が関与していたと見られている。

2001年、後藤はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)付属病院で肝臓移植手術を受けた。本来ならば後藤はアメリカに入国するのも困難であったが、アメリカ当局との交渉で肝臓手術を受ける代わりに山口組の内部情報を教える約束をして、アメリカへの入国を許可してもらう。

後藤はアメリカ当局に山口組幹部のリストや山口組がアメリカで使用している金融機関などを教え、これにより五代目山口組『五菱会』の梶山進の約52億円が全額没収されるなどの影響が出た。

2002年に後藤は五代目山口組若頭補佐に起用されて執行部入り、2005年に六代目山口組が発足すると六代目山口組舎弟に直った。

2008年10月に六代目山口組から除籍処分されて後藤は引退、後藤組も解散した。これは後藤が体調不良を理由に定例会をたびたび欠席していたが、芸能人を呼んだ誕生日パーティーを開いていることがマスコミに報じられて執行部が激怒したことが原因だとされている。この処分に異を唱えた直参約10人も後藤に連座して絶縁・除籍・謹慎などの処分を受けている。

後藤組若頭だった良知組組長・良知政志と後藤組総本部長だった藤友会会長・塚本修正が後藤組の地盤を継承して六代目山口組の直参に昇格している。

2009年、後藤は神奈川県伊勢原市にある天台宗の寺院で得度し法名・忠叡を名乗る。2010年には冤罪と言われていた袴田事件を題材とした映画を企画し、制作費3億円を投じて『BOX 袴田事件 命とは』を公開した。

2010年に宝島社から自叙伝の『憚りながら』を出版。後藤組と創価学会の関係を暴露するなど踏み込んだ内容で話題となった。2011年頃からカンボジアへ移住して様々な事業や慈善活動に携わっており、カンボジアから伯爵に相当する称号を授与されている。



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