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2021年03月21日、五代目山口組若頭補佐を務めた英組の英五郎元組長が、病気のため亡くなった。85歳だった。英元組長は1984年に直参に昇格し、五代目山口組で若頭補佐に起用され、六代目山口組で舎弟となり、2013年に引退。

約20年前からサイトを立ち上げて毎日ブログを更新するなど、インターネットに明るい名物組長だった。


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英五郎・初代英組組長の経歴

英五郎元組長は1935年08月生まれ、大阪府もしくは熊本県の出身。祖父は九州で有名な侠客だったとされる。子どもの頃に福岡県糟屋郡宇美町に移住。

高校卒業後に九州でいくつかの仕事に就いたが、1964年頃に博多集結事件に関与して服役。出所後に大阪へ戻り、1969年に大阪府大阪市西成区で『はなぶさ綜業』を立ち上げた。その後、組事務所を大阪市西淀川区に移し、英組に改称。

渡世名である英五郎の名前は、江戸時代末期に活躍した上州の侠客である大前田英五郎に由来しているという。



五代目山口組の最高幹部となる

1971年に三代目山口組若中だった小西音松組長が率いる小西一家に加入し、山口組入り。1972年に小西一家若頭補佐に抜擢され、1973年には小西一家若頭に昇格した。

1984年06月に四代目山口組が発足すると、小西一家からの内部昇格で四代目山口組の直参となった。竹中正久組長と親子盃を交わし、四代目山口組若中に就任。山一抗争では抗争終結の為に奔走したという。

山口組五代目跡目騒動では渡辺芳則組長を推し、1989年05月に渡辺組長が五代目を襲名して五代目山口組が発足すると、英組長は五代目山口組若頭補佐に起用された。山口組本家の最高幹部となり、五代目が終焉する2005年07月まで一貫して若頭補佐を務めた。ブロック制が導入されると大阪中ブロック長にも就任。

1997年08月に宅見若頭銃撃事件が発生した後、その当時7人居た若頭補佐が機能不全状態に陥る時期があった。宅見事件直後に中野太郎会長が絶縁され、1997年11月に司忍組長と瀧澤孝組長がボディーガード拳銃所持事件で指名手配、1997年12月に桑田兼吉組長が同じくボディーガード拳銃所持事件で逮捕。1998年09月には倉本広文組長が亡くなり、古川雅章組長も一時体調を崩すなど、山口組が危機的状況に陥る中、英組長が唯一自由に動ける若頭補佐として組織運営に奮闘したとされる。



五代目山口組の継承式典で進行を務める英五郎組長



数々の団体で総裁や名誉職などを歴任

英組長は山口組で最高幹部を務めながら、数々の団体で役職を務めた。1978年に右翼団体『全国平和連合』を結成し、初代総裁に就任。全国平和連合は日本各地に支部や加盟団体があり、傘下に無線愛好家クラブ『全英会』なども有していた。

2000年、若者の犯罪増加は戦後教育の荒廃の結果だと憂い、若者に武道、芸道、芸術、文化などを習得させる目的で、NPO法人『全国青少年健全育成会』の設立発起人となり、設立後に統括責任者に就任。

その他にも、一般社団法人『日本文化振興会』名誉最高顧問、『帝国芸術新聞社(旧・国際芸術新聞社)』社主、右翼系新聞『敬天新聞社』名誉最高顧問、宗教法人『日本教団』名誉最高顧問、道場『修練会館』名誉館長、自身の関連団体を束ねた『8723グループ』総師などを歴任。

政治、文化、宗教、マスメディア、スポーツ振興、青少年育成など、多種多様な分野に携わり、各界の有名人と親交があったとみられる。

ボクシングの亀田三兄弟がまだ売れていない頃に面倒を見ていたと言われており、亀田三兄弟を支援してマスコミに売り込んでいたという。しかし、亀田三兄弟が有名になり、対戦相手への挑発行為や反則行為が話題になった時期には、自身のサイトで亀田一家を痛烈に批判した。


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関連団体のイベントに登壇する英五郎元組長



サイトを立ち上げて精力的に情報発信

2001年頃から関連団体のサイトを立ち上げ、組長としては珍しくインターネットを上手く活用して情報を発信していた。サイトには主に全国青少年健全育成会、全国平和連合、日本教団、修練会館、帝国芸術新聞などの情報が掲載され、関連団体の趣旨、お知らせ、グッズ販売、掲示板などのコンテンツがあった。

サイト内ではブログを毎日欠かさず更新し、政治や時事ネタを批評するなど自身の思いを披瀝していた。また、サイトの掲示板に英組長みずから書き込み、関連団体のメンバーらと交流する姿も見られた。

インターネットに明るい組長として2ちゃんねるでも度々話題となり、英組長に関するスレッドが立てられるなど、アウトロー以外にもネット上で言及されることの多い組長だった。ブログの内容を評価する声もあったが、2000年代半ばに2ちゃんねらーによってサイトが荒らされ、誹謗中傷するスレが乱立したこともあった。

荒らされたことによりサイトは一部閉鎖、ブログの更新も止まっていたが、その後にmixiやFacebookで更新するようになった。


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8723グループのウェブサイト



ネットの書き込みで逮捕、渡世から引退

2005年08月に六代目山口組が発足すると、司忍組長から兄弟盃を受け、六代目山口組舎弟に直った。

2009年09月、神奈川県小田原市で稲川会紘城一家との小田原抗争が勃発。両組織を後ろ盾とした不良グループの対立が原因だとみられている。英組傘下の二代目廣政會の組員が紘城一家系の組員を銃撃し、2名に重傷を負わせた。

2012年10月、住民登録地とは別の自治体に居住していたとして、電磁的公正証書原本不実記録・同供用の容疑で逮捕された。

2012年11月、大阪府大阪市西淀川区の組事務所周辺にたむろする暴走族や不良集団について、8723グループが運営する掲示板に『半グレごときが大きな顔をして歩く世の中。わが城下町だけでも断固許すまじ、治安を乱す輩は断固たたかなければ』などと書き込み、これが配下の組員に近隣の半グレを排除するよう教唆したとみられ、2013年06月に暴力行為等処罰法違反(教唆)容疑で大阪府警に逮捕された。

実際に組員2人がこの書き込みを受けて、組事務所近くの路上に居た男性ら3人を脅迫したとして、暴力行為等処罰法違反の容疑で逮捕されている。

2013年10月、英組長は78歳で渡世から引退した。



六代目山口組と神戸山口組で英組系が並立

英組で若頭を務めていた藤田恭道が二代目英組組長を継承し、跡目継承で六代目山口組の直参に昇格したが、約半年後の2014年03月、過去に覚せい剤での逮捕歴があることなどを問題視され、藤田組長は六代目山口組から絶縁処分されて引退。二代目英組は解散した。

二代目英組で若頭を務めていた高島伸佳が二代目英組の組員を束ね、六代目山口組若頭補佐を務めていた江口健治会長が率いる二代目健心会の預かりを経て、朋友会を立ち上げて2014年11月に六代目山口組の直参に昇格する。

2015年08月末に六代目山口組が分裂して神戸山口組が結成されると、絶縁されていた藤田組長は二代目英組を再結成し、10月に神戸山口組へ加入。神戸山口組若中となり、渡世に復帰した。

これにより初代英組の出身である高島会長と藤田組長が、六代目山口組と神戸山口組に分かれて初代英組の残党を率いることとなり、かつての仲間が敵対組織という事態となった。

2016年04月、高島会長は2014年06月に二代目英組の元事務所から、歴代組長の肖像画や代紋入りの旗など約200点を無断で持ち出したとして、窃盗容疑で逮捕された。

2018年06月、六代目山口組若中に就いていた高島会長は直参から降格し、六代目山口組幹部の能塚恵会長が率いる三代目一心会に加入。三代目一心会会長代行に就任し、朋友会は直系組織ではなくなった。

藤田組長は2018年04月に神戸山口組幹部、2019年03月には神戸山口組若頭補佐に起用されている。


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二代目英組の藤田恭道組長と英五郎元組長



引退後に異例の絶縁処分、空き巣被害

2015年12月、引退していた英元組長の兵庫県西宮市にある自宅に空き巣が入り、現金3億円や貴金属などが盗まれる事件が発生。英元組長は泊まりで外出中だったという。被害届を出し、自身のFacebookで被害状況を報告した。

2016年03月、六代目山口組は英元組長を含む、すでに引退している元直系組長5名を絶縁するという状を出した。六代目山口組は藤田組長が絶縁されいるのにも関わらず、英組の名称を復活させ、対立する神戸山口組に加入して復帰したことを重く見ているとみられ、英元組長は二代目英組の再結成に協力したとされる。

2021年03月21日、英元組長は病気の為、亡くなった。享年85歳。



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