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2015年10月15日頃、六代目山口組から絶縁されていた元六代目山口組若中の二代目英組組長・藤田恭道が神戸山口組若中で復帰したという情報があった。

山口組分裂以降は両組織ともに絶縁・破門者の復帰を働きかけているという。この復帰した藤田恭道と藤田が率いる英組について、ネットや雑誌の情報を基に経歴をまとめてみることにする。



初代英組・英五郎の経歴

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英五郎(はなぶさ ごろう)、本名は津留英雄(つどめ ひでお)、1935年08月02日生まれ、大阪府の出身。

1943年、戦時疎開のため母の故郷である福岡県の糟屋郡宇美町に移住、小学校から高校卒業までを同町で過ごす。高校卒業後は福岡市内でダンスホールや遊技場関係の仕事に就いた。

1964年8月に博多集結事件に関与して服役、出所後に大阪へ戻り1969年に大阪市西成区で『英組』を立ち上げた。1971年に三代目山口組の若中であった小西音松が率いる『小西一家』に加入、1973年に小西一家若頭に抜擢された。

1984年06月に四代目山口組が発足すると内部昇格で四代目山口組の直参となった。1989年05月に五代目山口組が発足すると五代目山口組若頭補佐に起用され、五代目が終焉する2005年まで一貫して若頭補佐を務めた。

五代目体制でブロック制が導入されると大阪中ブロック長にも就任。2005年8月に六代目山口組が発足すると六代目山口組舎弟に直った。

2009年09月、神奈川県小田原市で稲川会紘城一家との『小田原抗争』が勃発。二代目廣政會の組員が紘城一家系の組員を銃撃したりして2名に重傷を負わせた。

2013年10月、英五郎は78歳で引退する。

英五郎は全国青少年健全育成会、日本文化振興会、帝国芸術新聞(旧・国際芸術新聞)、敬天新聞、帝國ホールディングスグループ(旧・全国8723グループ)、日本教団など様々な分野の団体の会長・総裁や最高顧問などを歴任していた。また無線クラブも運営していたとされている。

グリーンツダジム在籍当時の亀田興毅及び亀田家の興行権やプロモート権を保有・管理していたと言われており、亀田三兄弟を支援してマスコミに売り込んでいた。また政治団体である全国平和連合を立ち上げて総裁に就任するなど、政界、文化、格闘技、宗教など多種多様な分野に食い込んでいた。

2001年頃からブログを立ち上げて毎日更新したり、8723グループのサイトや掲示板を組員との連絡に使用しており、英五郎みずからが掲示板に書き込み組員と交流したりする姿が見られた。2000年代半ばに2ちゃんねらーによってサイトが荒らされたことがあったようだ。

2012年11月、大阪市西淀川区の組事務所周辺にたむろする暴走族や不良集団について8723グループが運営する掲示板に『半グレごときが大きな顔をして歩く世の中。わが城下町だけでも断固許すまじ、治安を乱す輩は断固たたかなければ』などと書き込み、これが半グレを配下の組員に排除するよう教唆したとみられ2013年06月に暴力行為法違反(教唆)容疑で大阪府警に逮捕される。

引退した後はFacebookを毎日更新していたが、最近は更新していないようだ。渡世名である『英五郎』の名前は江戸時代末期に活躍した侠客『大前田英五郎』に由来しているようだ。



二代目英組・藤田恭道の経歴

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藤田恭道(ふじた やすみち)、本名は藤田恭右、1972年06月19日生まれ、神奈川県の出身。

英組副組長だった広瀬政次郎(広瀬正勝)が率いる広政一家で頭角を現し、広政一家から改称した廣政會で若頭を務め、二代目廣政會会長を継承して英組の直参となった。

2002年頃には英組会長付に起用され、その後に英組若頭へ昇格している。2013年10月に英組組長・英五郎が引退すると二代目英組組長を継承、41歳で六代目山口組の直参となった。

しかし2014年03月に突如として六代目山口組から絶縁処分される。これは藤田が過去に覚せい剤での逮捕歴があり、まだ執行猶予が空けてなかったという理由だったと記憶している。六代目山口組体制では覚せい剤を厳禁とする方針を打ち出していた。

藤田は二代目英組を継承する前にこのことを六代目山口組の大阪ブロックの直参らに伝えていたが、直参らは問題ないとしていた。だが覚せい剤での逮捕歴を知った山口組執行部は激怒し、藤田は絶縁されてしまい強制引退を余儀なくされ、英組は解散した。

二代目英組で若頭を務めていた高島伸佳が英組の地盤を継承し『朋友会』を立ち上げ会長に就任、36歳で六代目山口組の直参となっている。

藤田は初代英組で若頭を務めていた頃、大阪のホテルで暴れて逮捕され若頭を降格させられていたという情報があるが真相は分からない。また元ボクサーだという情報もあるようだ。



今後は

2015年10月15日頃、藤田は神戸山口組若中として渡世に復帰した。藤田の復帰に対し六代目山口組は初代の英五郎も遡って絶縁にするとしたようだ。

藤田は41歳で六代目山口組の直参となり、わずか半年で絶縁、そして1年半後に神戸山口組の若中になるという異例の経歴となった。

藤田が二代目英組を継承した時の若頭である高島伸佳は朋友会会長として六代目山口組の直参となっているので、かつての仲間が敵対組織というのは何とも言えない境遇である。

神戸山口組の直参は平均年齢が高かったが、まだ40代前半である藤田の加入により若い人材がいることをアピール出来る。

英組の名跡復活は神戸山口組にとって正統性を保つ上でも追い風になるのであろうか、藤田の今後の動きに注目したい。







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