池田孝志

神戸山口組舎弟頭を務めた池田組の池田孝志組長は、1992年に五代目山口組の直系組長となり、六代目山口組体制で最高幹部を歴任。2015年に六代目山口組が分裂して神戸山口組が結成されると、離脱して神戸山口組に結成メンバーとして参画した。

池田組長は経済手腕に長け、金融や不動産などを手広く展開し、抜群の資金力を誇るとされ、神戸山口組を資金力で支える4人の大御所の1人となった。


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池田孝志組長の経歴、大石組の出身

池田組の池田孝志組長は1945年01月生まれ。20代の頃に三代目山口組『大石組』に加入し、岡山県岡山市で池田組を結成した。

大石組の大石誉夫組長は、兄である大石宮次郎(大石宮組)組長の影響で渡世を開始。兄とともに活動していたが、1961年頃に愛媛県新居浜市から岡山県に拠点を移した。独立組織の本多会(後の大日本平和会)や現金屋などと抗争し、地盤を構築して行った。そのうち、大石組長は現金屋に加入する。

岡山県児島市の独立組織だった現金屋は当時、岡山県下で最大の勢力があり、組長が市議会議員に当選し、児島市政を牛耳るフィクサーとなった。1964年に二代目現金屋組長が三代目山口組の直参として加入するも、1965年に破門され、現金屋は解散した。

大石宮次郎組長は、独立組織の太政官を経て独立し、1963年に三代目山口組『地道組』に加入した後、1964年に三代目山口組の直参に昇格。直参昇格後、三代目山口組で若衆をほぼ持たない組長たちで結成した山老会のメンバーとなった。

大石組長は、1971年に三代目山口組の直参となり、1984年06月に発足した四代目山口組で舎弟に直り、1989年05月に発足した五代目山口組では舎弟頭補佐に就任。山口組本家の執行部の一員となり、ブロック制が導入されると中国・四国ブロック長も兼任。2005年08月に六代目山口組が発足すると顧問となり、2012年に引退。2017年に亡くなっている。

大石組長は、映画スターだった高倉健と晩年まで親交を持ち、映画業界や芸能興行に太いパイプがあることから、山口組の芸能部長とも言われた。また、日本大学名誉教授に2000万円を貸したまま返してもらっていないことや、日本レスリング協会会長と交流があることなどが取り沙汰されることもあった。

山口組から離脱した竹中組との山竹抗争で、大石組組員が2度にわたって竹中武組長の自宅にショベルカーで攻撃を仕掛けるなど、武闘派としての一面もあったとされる。その他、ゼネコン工事の仕切り役なども務め、豊富な資金力があったとされ、山陽道における山口組の重鎮だった。


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大石組の大石誉夫組長


抜群の資金力を持ち、山口組の最高幹部に

池田組長はその大石組で実力を付け、1982年には大石組若頭に抜擢された。大石組長の片腕として組織運営にあたり、五代目山口組体制で要職に就いた大石組長を支え、組織を切り盛りした。

1992年02月、池田組長は五代目山口組の渡辺芳則組長と親子盃を交わし、大石組からの内部昇格で直参となった。五代目山口組若中に就任した後、五代目山口組組長秘書に抜擢される。

2005年08月、五代目山口組若頭であった司忍(弘道会)会長が六代目山口組組長を襲名し、六代目山口組が発足すると、池田組長は新設された六代目山口組幹部に就任した。2007年11月には六代目山口組若頭補佐に昇格し、山口組本家の最高幹部となった。その後、中国・四国ブロック長も兼任した。

池田組長は経済手腕に定評があり、金融や不動産などを幅広く手掛け、豊富な資金力があるとされる。また、顔の広さと外交手腕もあり、他団体からの評価も高いという。

2013年10月に六代目山口組若頭補佐を退任し、六代目山口組舎弟に直った。


六代目山口組から離脱、神戸山口組の結成

2015年08月末、六代目山口組から池田組を含む13の直系組織が離脱し、離脱した勢力で神戸山口組を結成した。

六代目山口組では、司忍六代目と高山清司若頭が同じ弘道会の出身で、これまで本流だった山健組系組織が冷遇され、弘道会に近い組織が優遇されるようになったと言われており、山口組内部で不満が高まっていたとされる。

弘道会中心の組織運営において、意に沿わない直参への処分、会費など上納金の高騰、直参に日用品やミネラルウォーターの購入を強要、名古屋に山口組の本家を移す計画などがあったとされ、これらの不満から複数の直系組織が離脱するに至ったとみられている。

池田組長は当初、神戸山口組の組長となる井上邦雄(四代目山健組)組長など、離脱を目論む組長らから一緒に離脱するよう口説かれていたが、考え直すよう諭していたという。最終的に条件を付けて離脱を了承し、六代目山口組から離脱。神戸山口組に結成メンバーとして参画し、神戸山口組舎弟頭に就任した。

池田組長は、神戸山口組で副組長に就いた入江禎(二代目宅見組)組長、若頭に就いた寺岡修(俠友会)会長、総本部長に就いた正木年男(正木組)組長とともに、井上組長に次ぐ、神戸山口組の4人の大御所の1人となった。

六代目山口組は、離脱して神戸山口組を結成した井上組長と、池田組長を含む4人の大御所を絶縁処分とし、他に神戸山口組に参加した組長らを破門処分とした。

六代目山口組の分裂して神戸山口組が結成されて以降、六代目山口組系組員らが神戸山口組系組織へ移籍するケースが多くあり、六代目山口組傘下の二代目大石組、四代目石井一家、大同会などから複数の幹部らが池田組へ移籍しているとみられ、神戸山口組は勢い付いた。


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神戸山口組の事始めに出席する池田組長


相次ぐ抗争、各地で六代目系組織と衝突

池田組は神戸山口組の結成以後、六代目山口組系組織との間でたびたび抗争が起こった。

同じ北海道旭川市を拠点とする、池田組『二代目孝昇会』と六代目山口組『旭導会』との間で、2016年03月頃から衝突が繰り返された。双方の組事務所や組長の自宅が襲撃されたり、小競り合いが起こった。二代目孝昇会会長は池田組若頭補佐を務めていて、池田組における北海道の出城であった。

宮崎県を拠点とする池田組『志龍会』と、大分県を拠点とする六代目山口組『四代目石井一家』との間でも、たびたび抗争が起こった。

志龍会会長は、元々は四代目石井一家若頭補佐だったが、他の四代目石井一家の幹部らとともに離脱して池田組に移籍。池田組に移籍した元四代目石井一家の幹部らと志龍会を結成。池田組若頭代行に就任していた。

2016年08月、六代目山口組『四代目石井一家』系元組員ら複数人が、宮崎県宮崎市の路上で池田組『志龍会』組員ら複数人らと乱闘になり、四代目石井一家系元組員1人が刃物で刺されて亡くなる事件が発生した。

この事件で志龍会会長を含む、志龍会の組員ら10人以上が逮捕され、主犯格に懲役16年の判決や、一部無罪になるものも居た。分裂抗争で緊張が高まっていた中、偶発的なバッティングからトラブルとなり、乱闘に発展した末の事件だったとみられる。

この事件以降、志龍会と四代目石井一家の間で断続的に抗争が起きていて、双方の幹部や組長が襲撃されたり、2022年に入っても志龍会の組事務所が荒らされる事件が起こっている。

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池田組が分裂抗争の標的に、若頭を失う

2016年05月、池田組若頭を務める高木忠(昇伸会)会長が、岡山県岡山市にあるマンションの自宅の駐車場で、六代目山口組『三代目弘道会』系組員に拳銃で撃たれ、亡くなる事件が発生した。六代目山口組と神戸山口組との分裂抗争で、抗争による直接的な死者が出たのはこの事件が初めてだった。

狙われた背景には、池田組の豊富な資金力を背景に、高木若頭が六代目山口組側の組員の引き抜き工作を行っているなどとされた。襲撃した組員は逮捕され、無期懲役が確定している。

池田組はナンバー2である若頭を失ったが、池田組と神戸山口組は六代目山口組『三代目弘道会』に報復を行わなかった。この事件が、当初は勢いがあった神戸山口組が衰退して行くキッカケになったと見受けられた。


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銃撃されて亡くなった池田組の高木若頭


神戸山口組の不調和、舎弟頭を退任

結成当初は勢いのあった神戸山口組だが、分裂抗争でやられっぱなしの場面が続き、徐々に勢いに陰りが出始めていた。

池田組長は神戸山口組の結成以降、豊富な資金力を背景に六代目山口組側の組員の引き抜き工作を行ったり、抗争資金を捻出していたとされ、組織に貢献していたのに関わらず、抗争で自身の若頭を失い、その仕返しを良しとしない井上組長への不信感が募って行ったとみられた。

組織の為を思い、池田組長は井上組長にストレートに諌言を申し、組織の改革案などを提起していたが、井上組長は受け入れず、池田組長を遠ざけて行ったという。

2017年04月、井上組長の腹心だとみられていた、神戸山口組若頭代行の織田絆誠ら直参数名と、神戸山口組の中核組織だった四代目山健組の3分の1が神戸山口組を離脱し、任侠山口組(現・絆會)を結成。任侠山口組は記者会見を開き、井上組長に対し「金の吸い上げが酷く、現状の改善もせず、六代目山口組より悪政」などと批判した。

2017年09月、兵庫県神戸市の路上で織田会長が乗る車の車列を、四代目山健組系組員が銃撃する事件が発生。ボディーガード役の組員が撃たれて亡くなった。襲撃した組員は逃走し、現在も行方が分かっていない。織田会長が記者会見で井上組長を批判したことが、事件の背景にあるとみられた。

織田会長と昵懇であった池田組長は井上組長に対し、抗争の返しはほとんどせず、自身を批判した元身内は襲撃するやり方に異を唱え、敵は六代目山口組であり任侠山口組ではないと主張したとされる。

神戸山口組の組織運営への不満が高まった池田組長は、神戸山口組舎弟頭を辞任し、神戸山口組最高顧問に就任。これにより神戸山口組の執行部から退出し、組織運営から手を引いた。


またしても池田組若頭が狙われる

2020年05月、池田組若頭を務める前谷祐一郎(功龍會)会長が、岡山県岡山市にある池田組の組事務所前で、六代目山口組『大同会』幹部に拳銃で撃たれるなどして、前谷若頭ら2人が重傷を負う事件が発生した。

この日は、4年前に銃撃されて亡くなった、当時の高木若頭の法要が岡山市内で営まれていた。襲撃した幹部は逮捕され、懲役16年が言い渡されている。

前谷若頭は、元々は六代目山口組『二代目大石組』若頭だったが、他の二代目大石組の幹部らとともに離脱して池田組へ移籍。池田組本部長を経て、高木若頭が亡くなった後に後任の若頭に就任していた。

池田組は、2代続けて若頭が銃撃されることとなり、神戸山口組を離脱するに至る。


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池田組の前谷若頭銃撃事件





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