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六代目山口組『三代目一心会』の経歴。一心会は富士会が前身で、創設者の韓禄春会長は1957年に三代目山口組入り。一時期は解散していたが、桂木正夫初代、川﨑昌彦二代目、能塚恵三代目と系譜が続いている。

三代目一心会は大阪のミナミに本部事務所を置いており、大阪にある六代目山口組の直系組織としては古参組織となっている。能塚三代目は六代目山口組幹部を務めていたが、2021年06月に六代目山口組若中に降格した。 


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韓禄春初代、在日コリアン社会の大物

一心会は、三代目山口組舎弟だった田中禄春こと韓禄春が立ち上げた富士会が源流。韓会長は1957年に三代目山口組の田岡一雄組長と盃を交わし、山口組入り。富士会を結成して会長に就任し、三代目山口組舎弟に就いた。後に富士会を一心会に改称。

1960年、韓会長は大阪のミナミでキャバレーを開店。開店祝いで田岡組長らが来店し、ゲストで歌手の田端義夫が出演した。この開店祝いの打ち上げの席で、田岡組長らは大阪の愚連隊『明友会』とトラブルになり、明友会事件と呼ばれる抗争に発展した。

警察による大規模な暴力団壊滅作戦『第一次頂上作戦』によって、1966年に一心会は解散に追い込まれ、韓会長は引退した。

一心会の複数の幹部は三代目山口組『菅谷組』へ移籍し、明友会事件で長期服役していた一心会幹部だった松本勝美(松美会)会長は、出所後の1974年に三代目山口組の直参に昇格している。

引退した韓会長は、実業家として活躍する一方、民団(在日韓国人の組織)の幹部としても活動した。韓会長は多方面に資金援助を行っていて、1970年頃に後に五代目山口組組長となる渡辺芳則組長が山健組内に設立した、健竜会の設立資金を提供。

1974年には巨額の私費を投じ、他の実業家らとともに大阪の御堂筋に韓国の総領事館を竣工させた。その他、韓国本土や日本にも多額の寄付を行ったとされる。韓国から勲一等の勲章が叙勲され、民団中央常任顧問に就くなど、在日コリアン社会の大物となった。



桂木正夫初代、四~五代目山口組で執行部入り

1976年、明友会事件で長期服役していた富士会幹部だった桂木正夫が出所し、一心会を再興して会長に就任。三代目山口組の直参に昇格した。1984年06月に四代目山口組が発足すると、桂木初代は四代目山口組若頭補佐に起用され、執行部入り。

ポスト組長レースに敗れた三代目山口組組長代行だった山本広(山広組)組長は、複数の直参とともに山口組を離脱して一和会を結成。山一抗争と呼ばれる熾烈な抗争に発展する。

桂木初代は四代目山口組の執行部として一和会を切り崩し、一和会に参加していた松本会長の引退工作を行い、松本会長は引退、松美会は解散している。

その後、一和会は解散して山一抗争は終結し、1989年05月に五代目山口組が発足。桂木初代は五代目山口組舎弟に直り、少し後に五代目山口組舎弟頭補佐に就いた。その後、1995年11月に引退した。



川﨑昌彦二代目、後藤組長処分問題に連座

桂木初代が引退すると、一心会幹部であった川﨑昌彦(川﨑組)組長が二代目一心会会長を継承し、五代目山口組の直参に昇格。2005年08月に六代目山口組が発足すると、川﨑二代目は引き続き六代目山口組若中に就任した。

2008年10月、六代目山口組舎弟であった後藤忠政(後藤組)組長の処分問題が発生。川﨑二代目は複数の直参と会合を開き、後藤組長を擁護して六代目山口組の執行部を批判した。執行部を批判する連判状も出回った。

六代目山口組執行部は謀反の動きがあるとして、執行部批判の会合に出席していた直参や、連判状に名を連ねていた直参のほとんどを処分した。川﨑二代目は除籍処分され、引退した。



能塚恵三代目、神戸山口組との抗争で服役

川﨑二代目が除籍処分されると、二代目一心会若頭であった能塚恵(二代目川﨑組)組長が三代目一心会会長を継承し、六代目山口組の直参に昇格した。

能塚三代目は1960年08月生まれ、暴走族の総長を経て、後の川﨑二代目と知り合い渡世入り。二代目一心会で若頭補佐、若頭を歴任していた。

能塚三代目は、2011年09月に六代目山口組組長付に起用され、2014年03月に六代目山口組慶弔委員に就任。2015年06月には六代目山口組幹部に昇格した。

2015年08月に六代目山口組が分裂して神戸山口組が結成されると、09月に六代目山口組慶弔委員長代理に就き、2016年02月には六代目山口組慶弔委員長に就任するなど、順調に出世して行った。

2015年12月、大阪市浪速区にある六代目山口組『秋良連合会』本部事務所付近で、神戸山口組『四代目山健組』系組員らが挑発行為を行い、秋良連合会組員らと乱闘になる事件が発生。

約2時間後、武器を持って結集した秋良連合会組員と三代目一心会組員は、大阪のミナミの路上で四代目山健組系組員らが乗る車を襲撃。車を破壊し、組員らを暴行した。

この事件に関与したとして、能塚三代目は2016年05月に凶器準備集合などの疑いで逮捕された。秋良連合会の秋良会長は事件後に逃亡していたが、2016年09月に逮捕された。

能塚三代目は四代目山健組系組員襲撃事件で裁判中の2018年06月、大阪市中央区にある心斎橋筋の路上で「俺のこと知らんのか、一心会の能塚や」などと言い、男性を脅して暴行したとして暴力行為等処罰法違反の疑いで逮捕された。

能塚三代目は四代目山健組系組員襲撃事件で、大阪地裁で懲役2年6箇月の判決、大阪高裁で懲役2年に減刑されるも、最高裁で上告が棄却され、刑務所に収監。2021年05月に刑期を終えて出所した。

先に出所していた秋良会長は六代目山口組若頭補佐に昇格しており、能塚三代目も六代目山口組若頭補佐に昇格すると思われたが、2021年06月、能塚三代目は六代目山口組幹部を退任し、六代目山口組若中に降格した。

2015年08月に六代目山口組が分裂して神戸山口組が結成されて以降、三代目一心会では組員の離脱や移籍が相次いでいた。六代目山口組『二代目竹中組』や神戸山口組『二代目宅見組』へ多数の組員が流出したとされ、勢力は減少傾向にあるとみられている。



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