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2017年04月30日に行われた任侠山口組(当時は任俠団体山口組)の記者会見の全文。

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任侠山口組の記者会見 2回目 全文



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本部長 池田幸治(四代目真鍋組組長)

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結成表明

本日付けを、持ちまして任侠団体山口組、結成致します。代表、織田絆誠。不肖、私、本部預かります、池田幸治です。宜しく御願い致します。

一昨年八月二十七日、神戸山口組の大義に感銘を受け、我々若手・中堅は、日本全国でその大義を信じて、汗を流させて頂きましたが、残念ながら大義とは名ばかりの一部の上層部の恨み辛み私利私欲であったという事実を目の当たりにしてしまいました。

『本来の山口組に戻す為、山口組を正す為、そして我々年寄りはどうなっても良いんだと、若い者が未来・将来の為、立ち上がるので付いて来て欲しい。』と言う言葉に感動し、この一年数か月、我々なりに頑張って参りました。振り返りますと、誠に持って残念の極みであります。

任侠団体山口組は、神戸山口組が実行しなかった大義を本日より実行し、尚且つ山口組中興の祖である、三代目田岡一雄親分の意に沿う親睦団体にして参ります。山口組綱領にある国家社会の興隆に貢献せん事を期す第一に、任侠の原点に返り、日々精進したく存じます。

まず名古屋方式を否定して立ち上がった神戸山口組であります。その名古屋方式の悪政は数々あれど、大きく分けると、第一に金銭の吸い上げ、第二に当代の出身母体の贔屓、第三に当代が進言諌言を一切聞かない、これでは山口組が自滅の道を辿ると真っ向から否定して立ち上がったにも関わらず、神戸山口組の現実はその名古屋方式にも劣るそれ以下の悪政でした。

一年数ヶ月間続けられた悪政の数々の中で、四名の大御所の方々が、心折れながらも、分裂によって若い者を巻き込んだ責任から、結成一年後、昨年の八月に三つの改革案を進言諌言したところ、

井上組長『あれもこれも言うなら組長は降りる。若頭、組長を代わってくれ』

と、言う理解しがたい耳を疑う暴言でした。

先程、申し上げた恨み辛みの話をさせて貰います、皆さん、記憶に残っていますよね。昨年九月の新神戸駅を思い出すだけでも恥ずかしい、さのサイン騒動。一家の若頭たる寺岡会長にも知らせず、入江副長、池田舎弟頭にも知らせず、山健組の織田副長・伏見若頭・生島舎弟頭・與本部長にも知らせず、こそっと健竜会中田若頭代行のみを呼び、指令指示し、あの恥ずかしい騒動が起こった訳であります。

仮に、この度の分裂が十年間の恨み辛みを晴らす事が目的であるとするならば、このサイン騒動は正解でしょう。しかし、山口組を正す為、若い者の未来・将来の為に、立ち上がったと公言するならば、さのサイン騒動は我々の業界では絶対にあってはならん事なんです。

いつの日か、二つの山口組を一つにして、若い者の将来の為に山口組を正すと言う大きな目標を井上組長自ら潰してしまったのです。我々若手・中堅含め神戸の大義を信じて、頑張ってきた大勢の者が目標を失い、目の前が真っ暗になり正に絶望した瞬間でした。

先程お話しした改革案、三つの内の一つの中に、当時の織田若頭代行の山健組との兼任を外すという話が入っておりました。昨年、八月の時点で大御所四名の方々に、山健組から籍を外し、神戸山口組に専念する様に要望され、その時に、うちの代表は明確に承諾したにも関わらず、未だにはっきりと決めれずにズルズルと今日に至っている訳です。

それと一つ、織田代表と言う人物は、山健組の跡目がどうこうよりも、今苦しんでいる山健組の組員達をどう救うか、全国の神戸山口組一門の者をどう導くか、そこを一番に考える男なんです。

ここで、『任侠団体山口組』について少しお話させて頂きます。本来、我々の業界では盃を重んじ、忠誠を誓うと言うのが本筋ですが、昨年八月二十七日に、その盃の意味を崩壊させ、合わせて絶縁・破門状の重みも崩壊させたのが、神戸山口組であります。

この現状の中で我々は盃よりも、精神的な同志の絆に重きをおき、あえて盃事は一切執り行いません。又、組長はあえて空席とし、代表制と言う形を取りましたが、これは我々が当然の如く組長は織田代表がなるものと思い、皆で再三御願いに上がりましたが、代表のたっての強い意志の元、固辞され承諾は得られず組長は空席となりました。

これは従来のような我々の業界の在り方では、この新しい船が意図する本来の趣旨に反するのではないか? と、代表に問われ、本来我々の業界では下の若い者が上を支えるのが当然とされてきましたが、任侠団体山口組では、皆が平等で、共に支え合い、助け合えるような組織作りをしたいと切に請われ、やむなく、このような形を取る事と成りました事をここに報告させて頂きます。

又、人事・詳細については後日改めて発表させて頂きます。因みに、神戸山口組側の一部の者が、織田は人事に不満を持って出るだろうとか、金銭絡みがどうこうなどという印象操作を雑誌やネットを使い、一生懸命捏造していますが、真実は今お話しさせて頂いて通りです。

一昨年、八月二十七日に公言した、神戸山口組の大義を嘘で終わらせず誠にする為、立ち上がったのです。真の山口組、真の任侠団体を作り上げる為である事をお伝えしておきます。

それでは先程、お話ししました神戸山口組の今までの現実を、お話しさせて頂きます。第一に金銭の吸い上げについて、山健組サイドからありのままをどうぞ。


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本部長補佐 久保真一(山健同志会会長)

まず遡って、一昨年8月27日の結成日翌日、8月28日に山健会館4階大広間にて、当時100名以上の山健組直参が集合した席上の、4代目井上組長の発言内容から説明させていただきます。

まず、名古屋方式の悪政の数々、なかでも多額の会費徴収、プラス日用品や雑貨などあの手この手の吸い上げ、組員の顔を見れば金金金という執行部の姿勢、篠原の現状を長々と説明したあとの言葉が、不本意ながら山健組のみなさんには金の苦労をさせざるを得なかったのだ。

これからは山健組のみなさんにはそういった無駄なお金の苦労をしてもらわなくてもよい、会費も下げられるとそういったにも関わらず、分裂以降蓋をあけてみたら、一向に金銭の吸い上げが止まず、会費と年8回の臨時徴収、さらに登録組員1名につき、1万円を徴収するという名古屋方式の上をゆくような、お金の吸い上げをその後も続けており、多額の使途不明金の詳細もわからないまま、山健組組員においては、財産すべてを持っていかれるような思いを持ち続けていた次第です。

あの8月28日にみなに頭を下げ、みなさん、もう少し私にヤクザをさせてくださいと号泣しながらの所作はなんだったのか、今となっては頭をかしげる次第です。後をお願いします。



本部長補佐 金澤成樹(山健連合会会長)

4代目山健組は一昨年の8月27日、名古屋弘道会を非難し、大義をかざし、神戸山口組を立ち上げたわけですが、現在神戸山口組の主要組織である4代目山健組の運営の中身は、弘道会を非難したことと同じようなことをしているのです。

そのほんの一例を挙げさせてもらえば、本年1月31日、名古屋で自決した、山健組中京ブロック長、藤森若頭補佐のことは皆さんのご記憶にも新しいことと思います。藤森ブロック長がなにゆえ自ら命を絶つようなことになったのかを、ご説明します。

昨年9月、藤森ブロック長は分裂以降、名古屋という土地柄もあり、組合のシノギがほぼ出来なくなったということもあり、経済的に行き詰まり、会費を滞納するという状況になっていました。そして、それを払える目処もない中で、意を決して、山健組本部にあがり、その窮状を訴え、役を降りさせてほしいと、松藤組跡目の高倉の兄弟と一緒に、お願いに行ったそうです。

そのとき対応したのは伏見若頭、與本部長、中田若頭代行の3人だったそうです。そして、その3人と藤森ブロック長との4人で約2時間ほど話し合いをしたのち、別室で待たされていた高倉の兄弟が呼ばれ、その3役から、藤森の会費滞納額が150万ほどある。高倉、先代が困っとるんやから、なんとか助けてやれんのかと言われたそうです。

高倉の兄弟は先代を助けたいのは山々なんですが、今の私にはその余裕はありません。なんとかしてくれと言われるのなら、事務所を処分して、お金を作るくらいしかないんですと返答したそうです。すると、伏見若頭が事務所は山健組の出城やから、売ることは出来んやろと言ったのち、驚くことに事務所を担保に金を作れんのかと言ったそうです。

高倉兄弟は、わかりました、借りれるかどうか頑張ってみますとしか言えず、そののち、藤森ブロック長と名古屋にもどり、数日かけて走り回り、金を出してくれる人を探したそうです。しかし、今のご時世、ヤクザの事務所を担保に金を貸してくれるような人は中々見つからず、伏見若頭に連絡をいれ、貸してくれそうなとこを探しましたが、どこも貸してくれませんでしたと報告したそうです。

すると、伏見若頭は中田の代行が担保で金を出してくれるところを知ってるそうやから、こっちで動いてもええなといい、中田代行の若衆である名古屋在住の健竜会中山氏という男から、高倉兄弟に連絡が入り、事務所担保の融資をするための作業に入ったそうです。

そして、中田代行が言ってきた条件が、一千万以上の評価がある物件にかかわらず、五百万なら出せると先方が言っているとそれでもいいかと聞いてきたそうです。藤森ブロック長、高倉兄弟にしてみたら、会費の未納、200万近くを払えと言われ、無理だとギブアップしている状態で、その2人に選択の余地もあるわけなく、お願いしますとなったそうです。

しかもその後、金利が付くんですが、三分でいいですかと言ってきたそうで、当然言えるはずもなく、お願いしますとなったそうです。しかし毎月15万円の金利を藤森ブロック長はもちろん、高倉兄弟も払うことが出来なかったため、その旨を伝えると、それなら金利は三年間据え置きで、三年後に元金と金利三年分を一括して払って下さい、そのかわり抵当権ではなく所有権を変えてもらいますと言って、去年の11月28日に松藤組事務所の所有権が、高倉兄弟の名義から、健竜会中田代行の若衆の名義に代わっているのです。

これが同じ身内、仲間のやることですか。分裂以降、敵地名古屋で命がけで頑張っている者から、会費をとるというのも、酷なことですが、それを滞納したからといって、事務所をカタに抑えますか。誰が聞いてもこれは仲間のすることじゃないと言います。山健組執行部三役揃いも揃って、こんなことを進めて親分がそれを知らないと思いますか。こんなことをしておきながら報告をしていないことなどあり得ないです。

自分で戦争をしかけて、最前線で戦っている兵隊から、兵糧も武器も取るようなことではないですか。普段から団結が大事や、和が大事や、助け合いやと言っているのは口だけなんです、嘘なんです。山健組の組員全員が、親分が金を持っていないとは思っていないでしょう、お金があるのに助けてやらないんです。

私は高倉の兄弟にひょっとしてと思い、藤森ブロック長が亡くなったとき、本部から香典が出たかと聞いたんです。出てないと言ってました、自殺なら出ないと、これが山健組の実状です。敵地の中で戦わせておきながら、搾り取るだけ搾り取り、残った唯一の財産まで取り、己が死に追い込んでいるのにそしらぬ顔をし、自殺だからという理由をつけて香典すら出そうとしない。

香典で私がひょっとしたらと思って高倉の兄弟に聞いたのが、昨年10月に亡くなった和歌山の紀州連合松下兄弟のときも、香典を遺族に渡してやってないからです。当時わたしは南ブロック長代理をしていましたので、葬儀が終わって、伏見頭に会計報告をし、会計責任者の中田代行と私の3人で親分に報告にあがったんです。

そのとき親分は松下の嫁は松下が懲役にいってる時に籍を抜いとるんやろ、嫁の評判もようないし、そんな嫁に金を渡したら飲み食いして子供のために金使わんのちゃうか、と言い出したんです。

その後、われわれ3人は親分の部屋から退出し、いったん頭の部屋に戻ったんですが、そのとき中田代行は親分がああ言っていたので、渡し方考えるので、いったん残りのお金を預かっておきますといったので、私は香典の残金約200万ほどを中田の代行に渡したのですが、その後それを遺族に渡してやることは無かったのです。以上です。

第二に当代の出身母体の贔屓について、これは古川組サイドから、どうぞ。



本部長補佐 山崎博司(三代目古川組組長)

古川組としましては、当代の出身母体の贔屓について、お話したいと思います。うちの組が神戸山口組に移籍して、すぐの昨年3月に山健組のとある組織の若い者と、うちの組の枝の若い者が揉め、うちの者が重傷を負わされる事件があったんです。

この事件はうちの者は一方的にやられているのにもかかわらず、相手が当代の出身母体の山健組ということもあり、こちらとしては最善の気遣いをし、神戸山口組内の揉め事であるから、六代目体制とまったくちがう裁きをしてくれると信じ、山健組の誠意にまかせたが、結果、神戸山口組がうたう当代の出身母体の贔屓をしないとは程遠い、真逆の結果となり、断腸の思いで不本意な結果を受け入れたんです。

うちとしては、この1件で組として大変寂しい思いをしたんです。不本意な裁定とはどのようなものか、詳細をうちの頭の方から説明させます。



直参 新井孝寿(三代目古川組若頭・雅新会会長)

こっからはざっくばらんに行きますんで。うちは皆さんご存じの通り、六代目から神戸へ希望を持って参加した組織の一つとして、ありのままの現状をお話しますんで。現場の声いうことで。

まず始めに移籍当時、六代目側から約3カ月遅れでわが古川組として移籍したわけだが、当時、裏切り者だの風見だの言われました、いろいろと。その中で我々は神戸山口組というものの、大義ですね、金は吸い上げない、出所びいきしない、色々なことを聞いてこれは六代目とは違うと希望を持って移籍、並々ならぬ覚悟でみな行った。

実際、当初、うちとしては経費的なものはぐっと下がり、これはほんまやな、これは行ってよかったなと組員一同安堵した場面もあったが、実際、月日が経ってものを見ていくと、結局ふたを明けたらなにも変わりなかった。

今、説明しましたけども、まず内輪もめをしないで、敵は六代目の名古屋方式という中で、まさか夢にも当代の出身母体山健組の人が手前どもの枝の若いものがけがを負わされた。そのこと自身が耳を疑いました。

その流れの中でうちとしては断固抗議した。これは名古屋と花隈は違うと抗議したが、結局あっさりと当事者だけ破門ということで言い渡しがあり、済まされたわけです。

本来我々の世界で、当事者が逆でうちの古川の者が加害者であれば、当事者即刻絶縁、そこの親方何らかの処分、これは当たり前のこと。当たり前と思っていた裁定すら下されないという神戸山口組で、12月に移籍して去年の3月くらいの事件ですか、あれちょっと違うなと。

我々は後からの参加組ですが疑問をていしたところもありまして、その流れで飲むとこは飲みました。やはり相手は山健組。我々弱小は辛坊するとこは辛坊せなあかんのかなと。

結局なんやったのかなと思いながら月日が過ぎまして、またびっくりするような話が耳に飛び込んできたのが、破門されていた当事者がなんの承諾もなく、普通であれば我々の世界では、被害者である我々どもにお伺いを立てて了承をもうて、はじめて復縁状を撒いてというのが当たり前のこと。

これ一切なく、当事者が、これもうちのもんが探しあててきたんですけど、破門された組織へ何事もなかったかのように出入りをしていた。それを聞いたとき、間違えやと何らかの、神戸に関してそれはないやろというてる最中に次の一方が耳に入りまして。

なんやと言うとその組織の代目が山健組内で代わりまして、代目継承の盃の席に、これは嘘やろと思いましたけども、神戸山口組組長が後見人として列席し、そこに当事者がそれなりのポストをもらって盃を飲んでいたということを聞いて、正直耳を疑いましたし、理解しがたい。

正直な気持ちやっぱり6代目、神戸とうちはいろいろ渡り歩いて、結局当代の母体であれば何でもありなんやなと。結局、なんでも名古屋名古屋でした6代目の時は、名古屋通るから道あけですわ、結局神戸行っても山健やから道あけなあかんのかと。

うちはプラチナプラチナ言ってますけど、結局山健の枝の組織、そこ以下の扱いをされたわけで、名ばかりでプラチナやなかったんやと。組一同、この一件で、正直な話神戸に希望もって行って、3カ月この事件があり、今年の2月ですか、それから1年後、正直いうと希望は冷めた瞬間といいますか。こういうような現状なんですね。

だから古川としましても、新しい団体に希望を持って頑張って行くわけですから。内容的にはそんな感じです。



池田
まあ、最後に第三に、進言諌言を一切全く聞き入れなかったという事実をお伝えしておきます。みなさん、長いこと、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございました。それとですね、任俠団体の俠、中の字は人です、俠友会さんの俠、ここだけは間違えないように。一方的な決意表明になりましたけど、よろしくお願いします。

新井
これ雑誌また見ますし、ちゃんと書いてくれた雑誌社はまたお受けします。

池田
そのままでお願いしますよ。もし、これに関しての聴き取りにくかったという部分は質疑応答はできませんが、担当を決めますので。ただその時に質問は勘弁してください。

新井
今日は言われんけども、組織名変更するところも出てきます。

池田
さっき言ったように、役とかについては後日。今日1回じゃないんで。これからも機会があればと思てますんで。


参考 http://nozomi.2ch.sc/test/read.cgi/4649/1493681128/





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