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2022年12月、神戸山口組が新たな人事を行い、空席だった若頭に小嶋恵介若頭代行が起用されたという。

小嶋組長は六代目山口組『中野組』で若頭を務め、2008年に中野組が解散した後に引退。2016年に渡世に復帰し、二代目中野組を継承して神戸山口組に加入。神戸山口組で若中、舎弟、舎弟頭補佐、若頭代行を歴任していた。

神戸山口組では舎弟頭と本部長のポストも空席となっていたが、最近の人事で舎弟頭と本部長が決まっており、約5年半ぶりに三役が出揃ったとみられている。


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このニュースのまとめ

  • 2022年12月頃、神戸山口組若頭代行だった二代目中野組の小嶋恵介組長が、神戸山口組若頭に昇格したとみられる。
  • 神戸山口組では2015年08月の発足以降、侠友会の寺岡修会長が約7年にわたって若頭を務めていたが、2022年08月に寺岡会長が神戸山口組から離脱し、若頭は空席となっていた。
  • 舎弟頭だった池田孝志(池田組組長)は、2017年07月に最高顧問となり、2020年07月に神戸山口組を離脱。舎弟頭は空席となっていたが、2022年10月頃に組織委員長だった近藤大恵(徳心会会長)が就任したとみられる。後任の組織委員長には舎弟の元満志郎(二代目安部組組長)が就いた。
  • 総本部長だった正木年男(正木組組長)は2019年02月に辞任して舎弟となり、2020年08月に引退。総本部長は空席となっていたが、2022年09月に副本部長だった青木和重(五龍会会長)が本部長に就いた。
  • 神戸山口組で若頭、舎弟頭、本部長の三役が出揃うのは2017年07月以降、約5年半ぶり。



小嶋恵介組長の経歴

小嶋恵介組長は1948年10月生まれ。大阪府堺市に本部を置く中野組で最高幹部を歴任し、自身でも闘道会を率いていた。

中野組は初代組長の中野雅巳が創設した組織。中野初代は三代目山口組若中だった桜井隆之組長が率いる桜井組の出身で、桜井組は兵庫県西宮市に本部を置いていた。桜井組では舎弟頭補佐を務める一方、自身で中野連合を結成して組長に就任。

1984年09月に桜井組長が亡くなると桜井組の跡目が決まらず、1985年11月に桜井組の幹部だった中野初代と二代目難波安組の小林治組長がそれぞれ四代目山口組の直参に昇格し、四代目山口組若中に就任した。

1989年05月に五代目山口組が発足すると、中野初代は引き続き五代目山口組若中となった。同年には二代目難波安組を取材したフジテレビの『なんてったって好奇心 / 実録 日本の裏世界〜極道〜』に出演し、小林治組長と並んでインタビューに答えていた。

2005年08月に六代目山口組が発足すると、中野初代は続いて六代目山口組若中となるが、2008年12月には引退し、中野組は解散した。

2016年01月、中野組若頭だった小嶋恵介が中野組を再興し、二代目中野組組長を継承して神戸山口組に加入。小嶋二代目は中野組解散後に別の組織へ移籍した後、渡世から離れていたとみられる。神戸山口組若中に就任し、渡世に復帰した。

2016年03月、六代目山口組は引退していた中野初代に対し、異例の絶縁状を出した。

2019年01月、小嶋二代目は神戸山口組舎弟に就任。2022年08月に神戸山口組舎弟頭補佐に就任したが、2022年09月には神戸山口組若頭代行に昇格し、神戸山口組の最高幹部となっている。

2020年10月、小嶋二代目は大阪府堺市の駐車場で、六代目山口組系幹部らに催涙スプレーを噴きかけられ、両目に軽傷を負った。2022年11月には、大阪府堺市にある二代目中野組の本部事務所に、六代目山口組系組員が車で突っ込む事件が起こっている。

2022年12月、小嶋二代目は神戸山口組若頭に抜擢され、神戸山口組のナンバー2となった。


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