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四代目真鍋組の経歴。真鍋組は真鍋展朗初代が立ち上げた組織で、兵庫県尼崎市に本部を置いた。真鍋初代は1970年に三代目山口組の直系組長となり、仲里正秋二代目、管和己三代目、池田幸治四代目と継承されて行った。

池田四代目は六代目山口組 ⇒ 神戸山口組 ⇒ 絆會(旧・任侠山口組)と所属組織を変え、2020年08月に引退。四代目真鍋組は解散したとみられている。


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四代目真鍋組の経歴

真鍋組は真鍋展朗初代組長が結成した組織で、兵庫県尼崎市に本部を置いた。真鍋初代は三代目山口組七人衆の一人であった松本国松組長が率いる、兵庫県尼崎市に本部を置く十九組の出身で、十九組舎弟頭を務めていた。

真鍋初代は1970年に内部昇格で三代目山口組の直参となり、1984年06に四代目山口組が発足すると、四代目山口組舎弟に直った。1989年05月に五代目山口組が発足すると、引き続き五代目山口組舎弟を務めた。

1995年01月に真鍋初代が亡くなると跡目が決まらず、真鍋組で若頭を務め五代目山口組の発足時に内部昇格で直参に上がっていた、仲里組の仲里正秋組長が二代目真鍋組組長を継承。仲里組は真鍋組に併合された。

2005年10月に仲里二代目が亡くなると、二代目真鍋組の管和己若頭が三代目真鍋組組長を継承し、六代目山口組の直参となった。

2010年02月に管三代目が病気療養のため引退すると、三代目真鍋組の池田幸治若頭が四代目真鍋組組長を継承し、六代目山口組の直参となった。

池田四代目は建設業や右翼団体を経て、1990年頃に真鍋組の傘下組織の組員となり渡世開始。1996年に二代目真鍋組の直参に昇格し、1998年に真鍋組内で池田組を結成。2000年には二代目真鍋組若頭補佐に就任し、三代目真鍋組体制で若頭に抜擢されていた。



神戸山口組・任侠山口組の結成に参加

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2015年08月、池田四代目は六代目山口組の複数の直系組長らとともに六代目山口組を離脱し、神戸山口組を結成。六代目山口組からは破門処分された。四代目真鍋組は神戸山口組の傘下組織となった。

池田四代目は神戸山口組若中に就いた後に組長秘書を兼任し、2016年01月に神戸山口組若頭補佐に昇格。2016年03月には懲罰委員も兼任し、神戸山口組の織田絆誠若頭代行とともに神戸山口組の組織固めに奔走した。

2017年04月、池田四代目は織田絆誠若頭代行らとともに神戸山口組を離脱し、任侠山口組(現・絆會)を結成。神戸山口組からは絶縁処分された。四代目真鍋組は任侠山口組の傘下組織となった。

四代目真鍋組の事務所は任侠山口組の本部となり、任侠山口組の定例会が行われた他、2017年08月には任侠山口組の二度目の記者会見の開催場所としても使用された。

池田四代目は任侠山口組の本部長に就任し、任侠山口組のナンバー2となった。2018年03月に任侠山口組が指定暴力団に指定されると、任侠山口組は組織改革を断行。池田四代目は任侠山口組若頭に就任した。

2018年06月、四代目真鍋組の組事務所の使用を差し止めを求める仮処分が、近隣住民の委託を受けた暴力団追放兵庫県民センターによって申し立てられた。09月に神戸地裁が仮処分を決定し、組事務所の使用は禁止された。

2020年04月には、絆會が本部事務所の使用禁止の仮処分命令に従っていないとして、暴力団追放兵庫県民センターが間接強制を申し立てた。10月に神戸地裁が間接強制を決定し、今後、組事務所を使用すると1日につき100万円の罰金が課せられることとなった。絆會は不服を申し立てたが、2021年03月に大阪高裁は申し立てを棄却した。

2020年08月、池田四代目は引退し、四代目真鍋組は解散したとみられている。09月に池田四代目は六代目山口組の総本部を訪れ、神戸山口組を結成した不義理を謝罪をしたとされる。



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