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2020年12月20日、神戸山口組本部長を務めていた毛利組の毛利善長組長が、病気のため亡くなったという情報が流れた。

毛利組長は1998年に五代目山口組の直参に昇格し、総本部当番長などを務めた後、2005年に発足した六代目山口組で幹部に就任。山口組総本部の実務職のスペシャリストとして活躍していたが、2015年に六代目山口組を離脱して神戸山口組に参加。神戸山口組では一貫して本部長を務めていた。


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神戸山口組に「重鎮逝去」の悲報が飛び込む一方で、闘争継続を表明するかのような組指針を発表
2020.12.22 19:00

(Business Journal) https://biz-journal.jp/2020/12/post_198165.html







このニュースのまとめ

  • 2020年12月20日、神戸山口組本部長を務めていた、毛利組の毛利善長組長が病気のため亡くなった。80歳だった。



毛利善長組長の経歴

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毛利善長組長は1940年12月生まれ。三代目山口組若頭補佐を務めた中山美一組長が率いる中山組(兵庫県神戸市)の出身。活動初期の頃は毛利時比呂と名乗っていたとみられる。

1973年12月に中山組長が引退すると、中山組舎弟頭の岸本才三が地盤を引き継ぎ、岸本組(兵庫県神戸市)を率いて三代目山口組の直参へ昇格する。その際に毛利組長は岸本組に合流したとみられ、岸本組では舎弟頭や副組長を歴任。自身でも毛利組(大阪府吹田市)組長として組織を率いた。



総本部実務職のスペシャリスト

毛利組長は四代目山口組で本部長、五代目山口組で総本部長を務めた岸本組長の片腕として、山口組総本部の実務と警備を長年に渡って取り仕切っていた。本来は直参組長が務める総本部当番長のポストを、毛利組長は直参に昇格する以前から務めていたとされる。

1997年02月に五代目山口組舎弟頭の益田啓助組長が引退し、1997年08月に五代目山口組若頭の宅見勝組長銃撃事件が発生。五代目山口組の若頭と舎弟頭が不在になると、1998年10月頃に岸本組長は総本部長の職だけでなく若頭代行と舎弟頭代行を兼任。五代目山口組の三役を一手に担い、五代目山口組のまとめ役となった。

多忙を極める岸本組長をサポートすべく、1998年10月に毛利組長は毛利組を率いて57歳で五代目山口組の直参へ昇格。渡辺芳則組長から親子盃を受けて五代目山口組若中となり、五代目山口組総本部当番長を務め上げた。

山口組総本部の実務面の責任者の1人として活躍していた毛利組長は、警察の間で「毛利組長の住居は山口組総本部」とまで言われていたという。

2005年08月に六代目山口組が発足すると司忍組長から親子盃を受け、六代目山口組若中となった。2005年09月に六代目山口組幹部に起用され、六代目山口組総本部長補佐に就任。2013年04月には六代目山口組総本部事務局長に就任した。



六代目山口組を離脱、神戸山口組に参加

2015年08月に六代目山口組が分裂して神戸山口組が結成されると、毛利組長は六代目山口組から破門・引退されたという情報が流れたが、実際には引退せず、六代目山口組を離脱して神戸山口組に参加した。井上邦雄組長から盃を受け、神戸山口組本部長に就任。六代目山口組からは破門状が出された。

2016年02月、毛利組へ移籍する動きを見せていた、六代目山口組『三代目一会』幹部だった高田組の事務所に火炎瓶が投げ込まれる事件が発生し、03月には高田組の事務所に銃弾が撃ち込まれたり、高田組組長が拉致され指を切断される事件が起こった。六代目山口組から神戸山口組へ移籍しようとした高田組組長に制裁が加えられたとみられていて、05月に高田組は解散した。

2020年12月20日、毛利組長は病気のため逝去した。享年80歳。



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