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二代目浪川会総裁に就任した浪川政浩初代浪川会会長

2018年04月07日、指定暴力団『浪川会』は福岡県大牟田市にある本部事務所で継承式を行い、代替わりをして二代目浪川会が発足した。浪川会理事長の梅木一馬が二代目浪川会会長を継承し、浪川会会長だった浪川政浩は二代目浪川会総裁に就いた。


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二代目浪川会九州福岡・大牟田市に本拠地をおく浪川会が二代目体制を発足!
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(R-ZONE) http://r-zone.me/2018/04/post-2196.html

九州ヤクザ界に異変あり!二代目浪川会誕生が山口組分裂騒動に与える影響とは?
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(Business Journal) http://biz-journal.jp/2018/04/post_22976.html



このニュースのまとめ

  • 2018年04月07日、福岡県大牟田市に本部を置く指定暴力団『浪川会』は本部事務所で継承式と盃直しを執り行い、二代目浪川会が発足した。
  • 浪川会理事長で『五代目村上一家』総長だった梅木一馬(52)が二代目浪川会会長を継承し、浪川会会長だった浪川政浩(61)は二代目浪川会総裁に就いた。



浪川会について

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浪川会は福岡県大牟田市に本部を置き、東京都台東区に東京事務所を置いている独立組織。福岡県大牟田市の独立組織だった『村上一家』をルーツとしている。村上一家は地元組織との抗争を経て1983年頃に九州の道仁会へ加入。大牟田市内で最大の勢力を誇る暴力団組織で、道仁会の中でも最大の傘下組織となっていた。

2006年05月、二代目道仁会会長の松尾誠次郎が引退を表明し、後継に二代目道仁会理事長で二代目松尾組組長の大中義久を指名する。この会長人事を不服として三代目村上一家は同じ二代目道仁会の傘下組織であった永石組、鶴丸組、高柳組と共に二代目道仁会を脱退。2006年07月頃に『九州誠道会』を結成し、二代目道仁会副理事長で三代目村上一家総長の村神長二郎が会長に就任する。

道仁会と離脱した九州誠道会との間で分裂抗争となり、道仁会の本部がライフルで掃射されたり、複数の道仁会系組事務所に手榴弾が投げ込まれたり、九州誠道会系組事務所に火炎瓶が投げ込まれて全焼するなどの事件が発生。その後、九州各地で九州誠道会の幹部や傘下組員が殺害される。

2007年08月、福岡市中央区の路上で三代目道仁会会長の大中義久が九州誠道会系組員に射殺される事件が発生し、道仁会のトップは内部抗争によって襲名からわずか1年3箇月で殺害された。2007年09月に服役中だった三代目道仁会理事長で小林組組長の小林哲治が跡目に推され、四代目道仁会会長を襲名した。

2007年11月には佐賀県の病院に入院していた一般市民が九州誠道会関係者と間違えられ、四代目道仁会系組員に射殺される事件も起こった。2008年02月に九州誠道会は指定暴力団へ指定され、抗争を終結する意思も表明する。

九州誠道会系の組長とみられる男らが佐賀入院患者射殺事件の被害者の自宅を訪れ、謝罪したとされる。村神長二郎は引退し、2008年03月に九州誠道会理事長で四代目村上一家総長の浪川政浩が二代目九州誠道会会長を襲名した。

2009年02月頃、二代目九州誠道会や四代目村上一家の組織資料などが、ファイル共有ソフトを通じてネット上に流出する騒動が発生した。電話番号が掲載されている連絡簿、役員一覧表、経費の管理表、組の名前が入った灰皿のデザインなどのデータが流出した。

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ネット上に流出した九州誠道会と村上一家の内部資料

2009年07月、二代目九州誠道会は一連の抗争の死者を弔うため、福岡県大牟田市にある民間墓地に抗争で亡くなった両団体の幹部らの名前を彫った忠魂碑を建てたが、2011年01月頃に何者かによって撤去された。

2011年頃から抗争が再燃し、複数の九州誠道会系組員が殺害される。2011年08月には二代目九州誠道会関係者が四代目道仁会会長の小林哲治の自宅の塀を乗り越え、拳銃を発射し手榴弾を投げ込んだ。2012年12月に両組織とも日本で初めて特定抗争指定暴力団に指定される。

2013年06月、四代目道仁会と二代目九州誠道会の間で手打ちが行われるとの情報が流れ、二代目九州誠道会は解散届を提出して解散した。しかし浪川らは引退せず、2013年10月に後続の組織である『浪川睦会』を発足させ、浪川政浩が会長に就く。四代目道仁会との抗争は沈静化し、両団体は2014年6月に特定抗争指定暴力団の指定を解除された。

抗争終結までに14人の死者を出す大規模な抗争となり、ライフルや手榴弾が使用されるなど、九州ヤクザの恐ろしさを知らしめる結果となった。抗争は終結したとみられているが、2017年10月には福岡県大牟田市にある浪川会の本部事務所に元道仁会系組員が潜入し、拳銃を発砲する事件が起こっている。

2015年11月に『浪川会』へ改名。四代目道仁会と浪川会の統合が噂されていたが、2018年04月に代替わりし、浪川会理事長で五代目村上一家総長だった梅木一馬が二代目浪川会会長を襲名。浪川会会長だった浪川政浩が二代目浪川会総裁に就任した。



二代目浪川会『浪川政浩』総裁の経歴

浪川政浩こと朴政浩は1957年生まれ、幼い頃から不良で中学生の頃には少年院に送られる。独立団体であった村上一家に加入して渡世入り。早くから優れた才能を発揮して頭角を現したとされる。三代目村上一家若頭、四代目村上一家総長、九州誠道会理事長、二代目九州誠道会会長、浪川睦会会長、浪川会会長などを歴任し、二代目浪川会総裁に就任。

神戸山口組組長の井上邦雄とは兄弟分の付き合いだとされていて、神戸山口組が東京で集会を開いた際に浪川会の東京事務所を会合場所に提供した。九州誠道会~浪川睦会が道仁会とともに日本初の特定抗争指定暴力団に指定された経験から、神戸山口組の最高幹部らに特定抗争指定暴力団となった場合の組織運営についてレクチャーしたとされる。

金持ちヤクザとして知られ、資金力は抜群だと言われており、他団体の組長や幹部らに金を貸したり資金の融通をしているとされる。幅広い外交を展開していて、全国の様々な組織に顔が利き、六代目山口組の幹部らともパイプを持っているという。



二代目浪川会『梅木一馬』会長の経歴

梅木一馬は1966年生まれ、16歳頃から暴力団事務所に出入りし、1983年頃に道仁会傘下の安井組に加入して渡世入り。安井組が解散すると縁あって村上一家に所属した。31歳頃に村上一家内に神闘総業を設立し組長に就任。

四代目村上一家若頭、五代目村上一家総長、二代目九州誠道会~浪川会総本部長、浪川会理事長などを歴任し、二代目浪川会会長を襲名した。



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