2017年09月12日、住吉会『西口茂男』総裁が亡くなった。88歳だった。住吉会は国内で2番目の勢力がある指定暴力団で、西口総裁は1991年頃から亡くなるまで住吉会のトップの地位にあった。
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住吉会トップの西口茂男総裁が死亡 88歳、病死か
2017年9月12日10時04分
(朝日新聞DIGITAL) http://www.asahi.com/articles/ASK9D33M8K9DUTIL00P.html
指定暴力団「住吉会」西口茂男総裁が死亡
2017.9.12 10:48
(産経ニュース) http://www.sankei.com/affairs/news/170912/afr1709120014-n1.html
住吉会 トップの西口総裁が死亡
2017年9月12日 11時20分
(毎日新聞) https://mainichi.jp/articles/20170912/k00/00e/040/235000c
山口組・司 忍組長が上京
2017/09/12 21:32
(FNN) https://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00370195.html
僕の大好きな叔父さんが昨夜亡くなられました。僕達兄妹を、おふくろが亡くなって以来自分の子供以上に面倒をみてくださった叔父さん!僕達兄妹は叔父さんの親戚でいれたたことをおふくろの妹である叔母さんに感謝するとともに、叔父さんのことを誇りに思って、これからも生きて行きます。合掌。 pic.twitter.com/7Uzm84B28e
— 田代まさし (@TashiroMarcy) 2017年9月12日
「任侠山口組」トップの襲撃事件はこうして起こった
2017年09月14日
(現代ビジネス) http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52894
ヤクザ界ドンの“家族葬”の弔問客とは? 渦中の山口組組長も
2017.9.15 12:45週刊朝日
(AERA dot.) https://dot.asahi.com/wa/2017091500005.html
田代まさしの“おじさん”住吉会西口総裁 厳戒体制で行われた「忍ぶ会」ルポ
2017.9.27 19:20 週刊朝日
(AERA dot.) https://dot.asahi.com/wa/2017092700098.html
西口茂男総裁死去で「住吉会が分裂」との噂も…組織の歴史と現状を見れば、それは杞憂にすぎない
2017.10.16
(Business Journal) http://biz-journal.jp/2017/10/post_20962.html
住吉会「トップ」変更公示 東京都公安委員会
2017.10.27 11:54
(SANSPO.COM) http://www.sanspo.com/geino/news/20171027/sot17102711540007-n1.html
このニュースのまとめ
- 2017年09月12日未明、住吉会総裁の西口茂男が都内の病院で亡くなった。88歳だった。死因は多臓器不全だとみられる。
- 2017年09月12日夜、六代目山口組『司忍』組長と幹部らが、西口総裁の弔問のため上京した。
- 2017年09月14日、東京都にある寺院で西口総裁の通夜が営まれた。
西口茂男の経歴
西口茂男(にしぐち しげお)、1929年生まれ。住吉一家『向後』二代目、住吉連合会会長、住吉会会長、住吉一家六代目総長、住吉会総裁などを歴任。
昭和20年代に住吉一家『向後』初代の若衆となり、渡世入り。1956年、東京都台東区浅草にある妙清寺で行われた葬儀で、住吉一家『向後』の向後平組長が住吉一家『大日本興行』高橋輝男会長を銃撃し、両組長を含む3人が死亡する『浅草妙清寺事件』が発生。西口はこの事件に関与して服役する。
住吉会は住吉一家を中心とするヤクザ連合組織で、住吉一家は明治初期に伊藤松五郎が東京の芝浦を縄張りにして結成された博徒組織。伊藤は東京の日本橋住吉町の出身で"住吉町の旦那"と呼ばれた。
1958年に住吉一家を中心に博徒・的屋・愚連隊が集結し『港会』が発足。1962年頃に港会は『住吉会』に改称するが、1964年に警察の暴力団壊滅作戦『第一次頂上作戦』で会長の磧上義光(住吉一家四代目)が逮捕され、1965年に住吉会は解散する。1967年、再び住吉一家を中心にかつての同志が再結集し『住吉連合』を結成、1982年には『住吉連合会』に改称した。
西口は1965年頃に住吉一家『向後』二代目を継承。向後の拠点を港区芝浦から杉並区高円寺に移す。上部団体である住吉連合会で副会長を務めた後、1988年頃に住吉連合会理事長に就任。住吉の最高幹部となった。
1990年に住吉連合会本部長の小林楠扶(小林会初代)、住吉連合会会長の川口喨史(日野一家四代目)、住吉連合会総裁の堀政夫(住吉一家五代目)が相次いで亡くなると、1991年頃に西口は住吉連合会会長を襲名。住吉一家六代目も継承する。住吉連合会を元の『住吉会』に改称し、住吉会会長となった。住吉会傘下の各親分と親子血縁盃を交わし、住吉会のトップとなる。
西口は住吉会に直参制を導入するなど組織改革を断行。外交では関東の的屋組織である極東会と親戚関係を結ぶなど、平和共存路線にも尽力した。住吉会『小林会』を母体とする国内最大級の右翼団体『日本青年社』の最高顧問も務めていた。
1998年に西口は住吉会会長を退任し、住吉会理事長の福田晴瞭(小林会二代目)が住吉会会長を継承した。西口は2002年に住吉会総裁に就任。以後、亡くなるまでこの地位にあった。2005年には福田晴瞭に住吉一家七代目も禅譲した。
2012年に西口は福田とともにアメリカ財務省から犯罪組織とその支持者であるとして、アメリカ国内の資産凍結とアメリカ人との金融取引を禁止する制裁対象に指定された。
2014年に福田晴瞭が会長を退任し、住吉会会長代行の関功(共和六代目)が住吉会会長に就任。福田は住吉会特別相談役に退いた。福田体制、関体制では盃直しは行われておらず、住吉のトップは西口茂男のままであったと言われている。
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