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2021年04月、神戸山口組顧問を務めていた奥浦組の奥浦清司組長が、引退したと報じられた。

奥浦組長はボンノこと菅谷政雄組長が率いる菅谷組の出身で、菅谷組解散後に長谷組を経て1989年に五代目山口組の直参に昇格。2005年の六代目山口組分裂で神戸山口組結成に参加し、一貫して神戸山口組顧問を務めた。神戸山口組では山口組からの直参歴が最古参の組長だった。


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このニュースのまとめ

  • 2021年04月、神戸山口組顧問を務めている奥浦組の奥浦清司組長(77)が、引退したと報じられた。奥浦組は解散したとみられている。



奥浦清司組長の経歴

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神戸山口組の納会に出席する奥浦組長

奥浦清司組長は1943年12月生まれ、大阪府枚岡市(現・東大阪市)の出身。両親は学校の教職員で、父親は校長も務めていた地元の名士だとされるが、高校を中退して組関係者と交流を持ち、27歳で大阪府大阪市西成区に事務所を構え、奥浦聯合を結成した。

奥浦組長は、三代目山口組若頭補佐であったボンノこと菅谷政雄組長が率いる菅谷組に加入。菅谷組長と盃を交わし、菅谷組若中となった。



菅谷組⇒長谷組を経て山口組直参に

1977年に菅谷組長が三国事件などの影響で三代目山口組から絶縁され、菅谷組は一本独鈷で存続するも、1981年に解散。菅谷組長は引退した。

奥浦組長は三代目山口組若中であった長谷一雄組長と縁あって盃を交わし、長谷組に所属することとなり、山口組に復帰した。長谷組舎弟に就任した後、長谷組舎弟頭に起用された。

1989年05月に五代目山口組が発足すると、奥浦組長は06月に五代目山口組の渡辺芳則組長と盃を交わし、長谷組からの内部昇格で五代目山口組の直参に昇格した。五代目山口組若中となり、奥浦聯合を奥浦組に改称した。

1990年03月に渡辺組長が沖縄を訪問した際、沖縄県警よって渡辺組長の身柄が拘束され、那覇空港に引き返す出来事があったが、奥浦組長は自身が負傷しながらも身を挺して渡辺組長を護衛したという逸話がある。

2005年08月に六代目山口組が発足すると、奥浦組長は引き続き六代目山口組若中となった。2011年頃に一部インターネット上で奥浦組長の死亡説が流布されたが、完全にデマであった。

2015年02月、自身が使用する車を身体障害者が使用すると偽って登録し、自動車税の減免を受けたとして、電磁的公正証書原本不実記録・同供用などの疑いで逮捕された。



堅気にも親しまれていると評判

奥浦組長は、大阪府東大阪市の瓢箪山を中心に確固たる地盤を築き、町の顔役として知られているとされる。地域社会に貢献するとともに、日本国家への愛国心も持ち合わせているとみられ、奥浦組の組事務所には日本国旗が掲げられていた。

地元の堅気からは「義理を重んじる真の任侠人で、過激な行動は起こさず、決して暴力団などではない」などと評されていて、地元の堅気からも親しまれている親分だとされる。また、「経済手腕に長けていて、安定した経済力がある」との評判もあるという。

奥浦組は東大阪市を中心に勢力を拡大し、東京都、茨城県、香川県、北海道など他の都道府県でも傘下組織を有していた。奥浦組の傘下には右翼団体も加盟していたとみられ、最盛期には500人以上の構成員が所属していたとされる。

奥浦組長のファッションセンスにも定評があり、神戸山口組の定例会などではオシャレなスーツ姿で出席していた。五~六代目山口組では幹部職や執行部のポストには恵まれなかったが、一部ネット上でもファンがいたとみられている。



神戸山口組結成、顧問に就任

2015年08月に六代目山口組が分裂して神戸山口組が結成されると、奥浦組長は六代目山口組を離脱して神戸山口組に参画した。六代目山口組からは破門された。

神戸山口組では山口組からの直参歴が最古参の直系組長で、神戸山口組からは顧問のポストを用意され、一貫して神戸山口組顧問を務めた。

2017年04月に神戸山口組が分裂して任侠山口組(現・絆會)が結成された後、奥浦組からも任侠山口組への移籍者が出たとされる。奥浦組舎弟頭補佐、若頭補佐、舎弟などが流出したとみられていて、奥浦組舎弟頭補佐は後に絆會の最高幹部となっている。



絆會に幹部流出、抗争、そして引退へ

2018年02月、奥浦組から任侠山口組(現・絆會)へ移籍していた、大阪府大阪市西区にある組長の自宅にトラックが突っ込む事件が発生。犯人として奥浦組幹部らが逮捕された。

2018年03月にはトラックに突っ込まれた組長が、大阪府大阪市西区にあるパチンコ店で顔を殴られる事件も発生しており、犯人として奥浦組元組員とみられる男が逮捕された。

2019年07月に奥浦組の若頭補佐が、大阪府大阪市港区の弁天町で何者かに刃物で切り付けられる事件が発生したとされる。

2021年04月、奥浦組長は渡世から引退したと報じられ、約半世紀にも上る渡世生活にピリオドを打った。



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