2019年12月03日、六代目山口組顧問だった初代心腹会『尾崎彰春』元会長が亡くなった。89歳だった。尾崎元会長は1950年代に三代目山口組『安原会』で活動を始め、1968年に三代目山口組の直参に昇格。四代目~五代目山口組で舎弟を務め、六代目山口組では顧問に就任。2011年に引退。

尾崎元会長は長い直参生活の中で一度も執行部職に起用されることは無く、表舞台にはあまり登場しなかったが、田岡三代目からの信頼が厚く、山口組影の実力者だったとされる。


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2019/12/6 5:00

(徳島新聞) https://www.topics.or.jp/articles/-/293719



このニュースのまとめ

  • 2019年12月03日、六代目山口組顧問だった初代心腹会の尾崎彰春(尾﨑昭治)元会長が亡くなった。89歳だった。
  • 2019年12月05日、尾崎彰春元会長の葬儀と告別式が、徳島県徳島市川内町にある葬儀場で営まれた。



尾崎彰春元会長の経歴

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尾崎会長は1930年06月生まれ。三代目山口組若頭を務めた安原政雄会長が率いる安原会(兵庫県神戸市)の出身。三代目山口組の田岡一雄組長の生まれ故郷である徳島県を拠点として活動していた。

尾崎会長は1953年、俳優の鶴田浩二のマネージャーがショーのあいさつ料として、田岡組長にお金を渡そうとしたが田岡組長が激怒し、安原会の組員であった山本健一(山健組組長)、益田佳於(益田組組長)、清水光重(清水組組長)の3人とともに鶴田浩二をウイスキーの瓶で殴りつけるという鶴田浩二襲撃事件を起こし、尾崎会長らは逮捕された。これをきっかけに三代目山口組は名を売り、芸能界に隠然たる影響を持つようになったとされる。

安原会の安原会長は実兄の安原武夫とともに二代目山口組の山口登組長の若衆となり、1946年に三代目山口組が発足すると田岡組長の若衆となる。自身で安原会を結成して会長に就任。三代目山口組若頭であった山田久一の跡を継ぎ、1950年に三代目山口組若頭となる。1955年02月に若頭を地道行雄(地道組組長)に譲り、三代目山口組舎弟に直る。1967年に安原会長は引退し、安原会は解散した。

安原会副会長であった尾崎会長が安原会の解散に反対する同志を集め、心腹会(徳島県徳島市)を結成。心腹会はかつて安原会が安原会以前に名乗っていたことがある組織名であった。尾崎会長は1968年11月に心腹会を率いて38歳で三代目山口組の直参へ昇格し、田岡組長から親子盃を受けて三代目山口組若中となった。

1984年06月に四代目山口組が発足すると竹中正久組長から兄弟盃を受け、四代目山口組舎弟に直る。1989年05月に発足した五代目山口組でも渡辺芳則組長から兄弟盃を受け、引き続き五代目山口組舎弟となる。尾崎会長の実子である尾崎勝彦が尾崎組(徳島県徳島市)を結成して五代目山口組の直参へ昇格。親子で直参となった。

尾崎会長は田岡組長からの信頼が厚かったが、あまり表に出ないタイプで若頭補佐などの要職には就かなかった。それでも影響力は大きく、四国のドンと言われていたとされる。警察庁長官から政治家となり、後に数々の大臣を歴任することになる、徳島県内を選挙区とする後藤田正晴が、1976年頃に「尾崎君は紳士だ」と発言したという逸話がある。

2005年08月に六代目山口組が発足すると司忍組長から兄弟盃を受け、六代目山口組顧問となった。六代目山口組では直参歴が最も古く、重鎮として君臨していたが、2011年09月に81歳で引退した。

実子ですでに直参となっていた尾崎勝彦が跡目を継承し、自身の尾崎組と心腹会を統合して二代目心腹会会長に就任するも、2014年05月に引退した。二代目心腹会理事長であった小林良法が跡目を継承して三代目心腹会会長に就任。六代目山口組の直参となっている。

2019年12月、尾崎会長は逝去。享年89歳。