須ノ内祥吾 1s

2023年05月01日、神戸山口組舎弟を務める二代目東生会の須ノ内祥吾会長が、渡世から引退した。

須ノ内会長は六代目山口組の直参だったが、2015年に神戸山口組が結成されると、六代目山口組から除籍処分を受け、神戸山口組へ移籍。一貫して神戸山口組舎弟を務めていた。


スポンサーリンク


須ノ内祥吾会長の経歴

須ノ内会長は1952年07月生まれ、三代目山口組『北山組』舎弟だった初代東生会の東義生会長と縁を持ち、1980年頃に渡世入り。東生会若中を務め、1984年頃には自身で須ノ内組を結成して組長に就いた。

北山組の北山悟組長は古くから三代目山口組の直参だったが、1984年06月に四代目山口組の竹中正久組長の襲名に反対する勢力が山口組を離脱し、離脱組で一和会を結成すると、北山組長は一和会へ参画した。須ノ内会長は北山組長と東会長に準じて一和会に移った。

その後、一和会と四代目山口組との間で山一抗争が勃発。北山組から一和会の直参に上がっていた石川裕雄会長が指揮し、1985年01月に一和会系幹部らが大阪府吹田市のマンションで竹中組長らを銃撃。竹中組長らは亡くなった。

竹中組長が亡くなったことで四代目山口組は一和会へ猛攻し、熾烈な抗争が繰り広げられた。一和会は抗争で劣勢に立たされ、直系組長や傘下組員らが次々と脱落。1988年07月に北山組長は引退し、北山組は解散した。


宅見組の有力組織幹部に

北山組が解散すると、東会長は四代目山口組若頭補佐~五代目山口組若頭を務める宅見勝組長が率いる初代宅見組へと移籍し、宅見組本部長や舎弟頭を務めた。須ノ内会長は東生会若頭に就任した。

東会長は、自身が営むフロント企業によって、繊維製品会社大手『クラボウ』の株を買い占めて筆頭株主となり、その後に株を売却して数10億円の資金を手にしたとされる。宅見組が株で巨万の富を得たという逸話の一端は、東生会が関与していたと言われている。


宅見事件、二代目組長に反発

1997年08月、宅見組長は神戸にあるホテルのティーラウンジで銃撃され、亡くなる事件が発生。犯行グループは五代目山口組若頭補佐を務める中野太郎会長が率いる中野会系幹部らで、同じ山口組内の身内の犯行だった。中野会長は五代目山口組から絶縁処分された。

1997年10月、宅見組若頭だった入江禎組長が二代目宅見組組長を継承するが、宅見組最高幹部を務めていた東会長や天野会の天野洋志穂組長らが、入江組長の二代目継承に反発。天野組長ら宅見組の反入江勢力は二代目宅見組に参画せず、五代目山口組総本部の預かりとなった。

1998年10月、総本部預かりとなっていた天野組長や東会長らは、天野組長をトップとする天野組を新たに発足させ、東会長は天野組組長代行に就いた。発足した天野組は、五代目山口組本部長を務める岸本才三組長が率いる岸本組の預かりとなった。

須ノ内会長は天野組の結成と同時に、須ノ内組を率いて東生会から内部昇格で天野組の直参に昇格。天野組若頭補佐に就任した。

天野組長は、ボンノと呼ばれた三代目山口組若頭補佐だった菅谷政雄組長が率いる菅谷組の出身で、1977年04月に起きた菅谷組の内部抗争『三国事件』で菅谷組長が絶縁され、1981年06月に菅谷組が解散すると、菅谷組舎弟だった波谷守之組長が率いる波谷組へ移籍。

波谷組は山口組には属さない一本独鈷となっていたが、1990年に五代目山口組若頭補佐だった司忍組長が率いる弘道会との山波抗争で敗北し、組員らが大量に離脱。天野組長は宅見組長が率いる宅見組へ移籍し、宅見組副組長を務めていた。

1999年03月、天野組長は岸本組からの内部昇格で五代目山口組の直参に昇格し、五代目山口組若中に就任した。


スポンサーリンク

 2カ月間99円セール開催中!! 


二次団体若頭から本家直参に

2002年04月、中野会の弘田憲二副会長が沖縄県那覇市で車で走行中、天野組『東浜一家』組員に銃撃されて亡くなる事件が発生。天野組は宅見組からは離脱したものの、宅見組長を銃撃した中野会への報復を行った。

2005年08月、亡くなった宅見組長に代わって五代目山口組若頭に就任していた、初代弘道会の司忍組長が六代目山口組組長を襲名。六代目山口組体制が発足すると、天野組長は引き続き六代目山口組若中を務めた。

その頃、東会長は天野組最高顧問へ就任したことに伴い、東生会会長の座をすでに天野組の直参に上がっていた須ノ内会長に禅譲し、須ノ内会長は二代目東生会会長を継承。二代目東生会は大阪府大阪市淀川区に本部を置いた。

二代目東生会会長を継承した須ノ内会長は天野組若頭に抜擢され、六代目山口組二次団体の最高幹部となった。

2008年01月、天野組長は六代目山口組から除籍処分されて渡世から引退、天野組は解散した。須ノ内会長は天野組の勢力を引き継ぎ、2008年02月に二代目東生会を率いて六代目山口組の直参に昇格。六代目山口組若中に就き、その後に六代目山口組総本部当番責任者を務めた。

2012年04月、須ノ内会長は兵庫県尼崎市の土地を無免許で転売したとして、宅建業法違反の疑いで逮捕されている。


除籍処分、神戸山口組へ移籍

2015年08月、六代目山口組から複数の直系組織が離脱し、離脱した勢力が神戸山口組を結成。須ノ内会長は六代目山口組に残ったものの、移籍の動きがあったと見做されたのか、2015年09月に六代目山口組から謹慎処分を受けた後、除籍処分された。

2015年10月、須ノ内会長は二代目東生会を率いて神戸山口組に加入。神戸山口組舎弟に就任した。その後、六代目山口組と神戸山口組の分裂対立抗争が勃発するが、二代目東生会は目立った動きを見せなかった。

2020年07月、須ノ内会長は受給資格がないのに共済制度を悪用して退職金を不正に受け取ったとして、詐欺の疑いで逮捕された。


渡世から引退、東生会解散

2022年頃から須ノ内会長は神戸山口組と距離を置き始めたとされ、2023年01月には六代目山口組のブロック会議で『(須ノ内会長は)すでに神戸山口組から心が離れている』と指摘されていた他、2023年04月に開催された神戸山口組の総会に出席しなかったという。

2023年05月01日、須ノ内会長は自身の引退届と二代目東生会の解散届を大阪府警に提出。渡世から引退し、二代目東生会は解散した。




 ⇒ 関連記事 
































スポンサーリンク