神戸山口組を研究する会

『神戸山口組を研究する会(仮)』は山口組分裂騒動を中心に、暴力団組織、反社会勢力、半グレ、裏社会、それらに関連する事件や出来事などについて研究する会のサイトです。

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タグ:逝去

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2021年06月14日、六代目山口組顧問を務める川合組の川合康允組長が、亡くなったという情報が流れた。83歳だった。

川合組長は本多会『平田会』を経て三代目山口組『瀬古安会』に所属していたが、組長への不満から他の幹部ら数人とクーデターを起こし、組長を除籍処分に追い込んだ。1979年に三代目山口組の直参に昇格し、40年以上も直系組長であり続けた。2016年10月以降は最古参の直系組長となっており、六代目山口組体制で舎弟、顧問を歴任していた。

2021年08月、六代目山口組『三代目弘道会』傘下『野内組』若頭が二代目川合組組長を継承したため、川合組は野内組の傘下組織となった。続きを読む
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nishikawa67

2021年06月06日、五代目山健組若頭を務める六代目健竜会の西川良男会長が、亡くなったと報じられた。57歳だった。西川会長は新型コロナウイルスに感染し、重篤説が流れていた。コロナからは回復したものの、持病が悪化したとみられている。続きを読む
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Kobe

2021年04月、六代目山口組『四代目山健組』若頭を務めた健國会の山本國春元会長が、亡くなったと伝えられた。71歳だった。

山本元会長は、六代目山口組『四代目山健組』で渉外委員長や若頭を務めた四代目山健組の最高幹部。2007年に発生した五代目多三郎一家総長襲撃事件の首謀者として2010年に逮捕され、地裁で無罪判決が出るも高裁で逆転有罪判決。最高裁で上告が棄却され、懲役20年が確定。2014年に渡世から引退していた。続きを読む
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2020年10月、神戸山口組舎弟を務めていた四代目澄田会会長の竹森竜治が、引退したと報じられた。竹森会長は2004年に四代目澄田会会長を継承し、2007年に六代目山口組の直参となったが、2012年に除籍されて引退。神戸山口組発足後の2015年10月に渡世に復帰し、神戸山口組舎弟を務めていた。

2021年03月30日、竹森元会長は病気のため亡くなった。71歳だった。続きを読む
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hanabusa1

2021年03月21日、五代目山口組若頭補佐を務めた英組の英五郎元組長が、病気のため亡くなった。85歳だった。英元組長は1984年に直参に昇格し、五代目山口組で若頭補佐に起用され、六代目山口組で舎弟となり、2013年に引退。

約20年前からサイトを立ち上げて毎日ブログを更新するなど、インターネットに明るい名物組長だった。続きを読む
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2018年12月に書籍『悲憤』を発売した、五代目山口組若頭補佐だった中野会の中野太郎元会長とはいったい何者なのか。書籍やネットなどの情報を基に、経歴をまとめてみる。

2021年01月10日、中野元会長は病気のため亡くなった。84歳だった。続きを読む
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2019年09月08日、作家の安部譲二さんが09月02日に急性肺炎のため亡くなっていたことが分かった。82歳だった。

安部さんは、のちに俳優となる安藤昇が率いる安藤組や、新宿の小金井一家で活動し、1981年に引退。作家に転身し、デビュー作の『塀の中の懲りない面々』がベストセラーとなった。テレビ番組のコメンテーターやバラエティー番組などでも活躍し、お茶の間でも親しまれた元極道だった。続きを読む
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2019年07月12日15時50分頃、沖縄の指定暴力団『旭琉會』の富永清会長が亡くなった。74歳だった。

富永会長は1990年に内部対立から三代目旭琉会を絶縁され、沖縄旭琉会を結成して会長に就任。双方の組織で抗争となり、その後は冷戦状態が続いた。2011年に四代目旭琉会と沖縄旭琉会の合流を主導。2つの組織を統一して旭琉會を発足させ、会長に就任。沖縄で長らく続いていた流血抗争を乗り越え、悲願の一本化を果たした。続きを読む
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