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2020年10月、神戸山口組舎弟を務めていた四代目澄田会会長の竹森竜治が、引退したと報じられた。竹森会長は2004年に四代目澄田会会長を継承し、2007年に六代目山口組の直参となったが、2012年に除籍されて引退。神戸山口組発足後の2015年10月に渡世に復帰し、神戸山口組舎弟を務めていた。


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神戸山口組でまたも幹部が引退、絆會若頭は依然逃亡中…当局に狙われる大物組長たち
2020.10.13 17:50

(Business Journal) https://biz-journal.jp/2020/10/post_184857.html





このニュースのまとめ

  • 2020年10月、神戸山口組舎弟で『四代目澄田会』会長の竹森竜治(70)が、引退したと報じられた。



竹森竜治会長と澄田会の経歴

竹森竜治会長は1950年01月生まれ。大阪の澄田会で最高幹部を務め、自身でも竹森連合を率いた。四代目澄田会会長を継承し、一度は引退するも神戸山口組で復帰した。

澄田会は初代の澄田寿三が結成した組織。澄田初代は戦前の二代目山口組で若頭を務めていたが、1942年に山口登組長が亡くなった後に山口組を離れ、1946年に澄田組を結成した。

澄田組は大阪府大阪市港区築港を拠点とし、大阪港の港湾荷役を背景にして地盤を築き、大阪で有力な独立組織となった。後に山健組で幹部を務め、五代目山口組の若頭補佐となる中野太郎(中野会)会長は、澄田組の傘下であった名和組の出身だとされている。

1977年05月に澄田初代が亡くなると、1978年03月に若頭であった金崎善夫が二代目澄田組を継承する。

1973年頃から長期にわたって続いた第四次沖縄抗争で、1981年に二代目旭琉会の和多田真山会長、三代目山口組の野上哲男(二代目吉川組)組長、山口組の友好団体として二代目澄田組の橋本實(二代目藤井組)組長の3人が五分の兄弟盃を交わした。これが実質的に抗争の手打ちとなり、澄田組は第四次沖縄抗争の終結に一役買った。

1988年10月に金崎二代目が引退すると、舎弟頭であった中嶋政雄が三代目澄田組を継承。澄田組を澄田会に改称した。

1990年11月、中嶋三代目は五代目山口組の渡辺芳則組長と盃を交わし、山口組に加入。澄田会は山口組の傘下組織に収まり、中嶋三代目は五代目山口組若中となった。

2004年04月に中嶋三代目が亡くなると、理事長や若頭を歴任していた竹森竜治が四代目澄田会を継承。竹森四代目は五代目山口組の直参にはならず、五代目山口組若中・組長秘書であった福島末博(勝龍会)会長と盃を交わし、澄田会は勝龍会の傘下組織となる。

2007年07月、六代目山口組幹部に昇格していた勝龍会の福島会長が引退すると、09月に勝龍会で舎弟頭や若頭を務めていた竹森四代目が六代目山口組の直参に昇格し、六代目山口組若中となった。澄田会は再び山口組の二次団体に返り咲いた。

2009年02月、竹森四代目は六代目山口組総本部当番責任者に起用される。2012年05月に竹森四代目は別人名義で車を購入して登録したとして、電磁的公正証書原本不実記録・同供用の疑いで逮捕された。

2012年09月、竹森四代目は六代目山口組から除籍され、引退。四代目澄田会は解散した。

2015年08月に六代目山口組が分裂して神戸山口組が結成されると、竹森四代目は澄田会を再結成する。2015年10月に神戸山口組へ加入して渡世に復帰し、神戸山口組舎弟に就いた。

2020年10月、竹森四代目は引退したと報じられた。



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