神戸山口組-代紋

2022年03月、元神戸山口組『五代目山健組』舎弟で引退していた百八竜会の竹本均会長が、神戸山口組に直参として再加入し、神戸山口組若中に就いたという。

竹本会長は、五代目山口組『二代目中西組』若頭を務めた後に引退するも、2019年に神戸山口組『五代目山健組』で復帰。2020年に五代目山健組が神戸山口組を離脱すると再び引退していた。


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神戸山口組が直参増員!体制強化で判明した井上邦雄組長の“極秘計画”
2022.04.10

(週刊実話) https://weekly-jitsuwa.jp/archives/56279



竹本均会長の経歴

竹本会長は、五代目山口組『中西組』傘下『宮原組』の出身で、三代目宮原組組長を継承し、二代目中西組で若頭に抜擢されていた。

宮原組は、三代目山口組『菅谷組』舎弟を務めていた、川内弘組長が率いる川内組で舎弟頭を務めた宮原省冶組長が結成した組織。1977年04月に菅谷組の内部抗争『三国事件』で川内組長が銃撃されて亡くなると、宮原組は三代目山口組若頭補佐を務める、加茂田重政組長が率いる加茂田組へ移籍。

四代目山口組の竹中正久組長の就任に反対する勢力が山口組を離脱して一和会を結成すると、加茂田組は一和会に参加。四代目山口組と一和会との間で『山一抗争』が勃発し、一和会は四代目山口組からの猛攻で劣勢となり、加茂田組は1988年05月に解散した。

加茂田組が解散すると、宮原組は四代目山口組組長代行~五代目山口組最高顧問を務める、中西一男組長が率いる中西組へ移籍し、山口組に復帰。竹本会長は二代目宮原組で若頭を務めた。

2003年09月に中西組長が亡くなると、中西組若頭を務めていた二代目宮原組の布川皓二組長が、12月に二代目中西組組長を継承。竹本会長は後任の三代目宮原組組長に就任し、代替わりした二代目中西組で若頭補佐、若頭を務めたとされる。

その後、竹本会長は2008年頃までに引退し、一旦渡世から離れた。

2019年11月、竹本会長は神戸山口組若頭代行を務めていた、中田浩司組長が率いる五代目山健組に加入し、渡世に復帰。五代目山健組舎弟に就任し、自身で百八竜会を結成して会長に就いた。

2020年07月に中田組長が神戸山口組を離脱し、五代目山健組は一本独鈷の独立組織になるが、五代目山健組の複数の幹部らが神戸山口組に残留。五代目山健組は分裂した。竹本会長はどちらにもつかず、引退して一旦渡世から離れた。

2022年03月、竹本会長は神戸山口組若中に就任し、渡世に復帰した。竹本会長が率いる百八竜会は、石川県もしくは福井県が拠点だとみられている。



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