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2016年07月~08月、六代目山口組『二代目竹中組』組員や右翼団体『政経塾』塾頭ら計5人が威力業務妨害の疑いで逮捕されたという情報があった。逮捕容疑は兵庫県上郡町にある漁協組合の事務所を街宣車で取り囲んで演説を行い、会議を妨害したというもの。

2016年08月18日、この事件の関係先として六代目山口組の総本部に家宅捜索が入った。


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六代目山口組総本部を捜索 漁協への妨害容疑
2016/08/18 12:10

(毎日放送 MBS) http://www.mbs.jp/news/kansai/20160818/00000023.shtml

山口組総本部を捜索 街宣車で「漁協を私物化するな」
2016年 8月 18日 19時 26分

(関西テレビ カンテレ) http://www.ktv.jp/news/index.html#0541890

山口組総本部を捜索 漁協の臨時総会を妨害、兵庫県警
2016.8.18 12:01

(産経ニュース) http://www.sankei.com/west/news/160818/wst1608180035-n1.html


このニュースのまとめ

  • 2016年07月、六代目山口組『二代目竹中組』組員の内海国男(59)、右翼団体『政経塾』塾頭の中野伸吾(46)、ら計5人が威力業務妨害の疑いで逮捕された。
  • 逮捕容疑は2016年05月に兵庫県上郡町にある漁業協同組合の建物の周りを街宣車で取り囲み、約1時間にわたって「漁港の私物化を許すな」などと演説を行い、漁協の臨時総会の議事進行を妨害し一時中断させた疑い。
  • 2016年08月、元漁協組合員の自宅の周りに街宣車を走らせたとして、計4人が暴力行為等処罰法違反の疑いで再逮捕された。
  • 2016年08月18日、この事件の関係先として神戸市灘区にある六代目山口組総本部を兵庫県警が家宅捜索した。


竹中組について

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二代目竹中組の本部事務所と見られる建物 【出典】https://www.google.co.jp/maps/place/〒670-0955+兵庫県姫路市安田4丁目49/

竹中組(山口組)

二代目竹中組(たけなかぐみ)は兵庫県姫路市安田4-49に本部を置く暴力団で、六代目山口組の二次団体。

<竹|中>

◆竹中組系譜
初 代 - 竹中正久
二代目 - 安東美樹

◆二代目竹中組組織図
組 長 - 安東美樹(六代目山口組幹部・総本部責任者・中国四国ブロック阪神中国地区長)

◆執行部
若 頭 - 善岡 仁(善岡興業組長)
舎弟頭 - 朝見芳樹(朝見総業組長)
本部長 - 渡邊 智(二代目青木組組長)
副本部長 - 古門征樹(美道会会長)
舎弟頭補佐 - 小田 貢(藤正会会長)
舎弟頭補佐 - 遠山二郎(遠山総業組長)
風紀委員長 - 阿部 博(二代目播磨総業組長)
事務局長 - 松田和樹

◆最高顧問
金川隆次(金川組組長)

◆顧問
安田 猛
伊達京介(伊達興業組長)

◆相談役
平沢信明

◆舎弟
清田邦夫(清田総業組長)
田邊 要
 
◆幹部
瀬畑慎吾
下村彰佳
村上茂徳

最終更新:2016-08-18 06:47:32

二代目竹中組は六代目山口組の二次団体、兵庫県姫路市に本部を置いている。組長の安東美樹は六代目山口組幹部(総本部責任者・中国四国ブロック阪神中国地区長)

竹中組は後の四代目山口組組長となる竹中正久が1960年頃に兵庫県姫路市で結成した組織。1961年に竹中は三代目山口組組長・田岡一雄の盃を受け、竹中組は山口組の二次団体になった。1971年に竹中は三代目山口組若頭補佐に就任し執行部入り。1981年に田岡組長が死去し、跡目とされていた三代目山口組若頭・山本健一も1982年に死去すると、竹中は三代目山口組若頭に就任。 

跡目に三代目山口組組長代行・山本広で決まりそうになると反対派が反発、山本広(山広組組長)を推す山広派と竹中正久(竹中組組長)を推す竹中派に分かれ、四代目組長の座を巡り山口組内部で対立状態になる。

竹中派は田岡文子未亡人を担ぎ出し「おとうちゃんは竹中って言ってた」と言わし、1984年06月に竹中正久は四代目山口組組長を襲名。実弟の竹中武が直参昇格。竹中に反対していた山広派は山口組を離脱し一和会を結成し、山口組と一和会との抗争『山一抗争』が勃発した。 

1985年01月、四代目山口組組長となった竹中正久が一和会に暗殺され抗争は激化するが、稲川会の仲裁もあって仲裁の方向に傾く。1989年02月、竹中武が四代目山口組若頭補佐に起用される。1989年03月、山口組と一和会は山本広の引退と一和会解散で手打ち。死者25名という壮絶な抗争は終結し、一和会傘下の組員の多くは山口組に戻っている。

1989年05月、五代目山口組組長に渡辺芳則(二代目山健組組長)が担がれ、山口組は五代目体制へ移行。 しかし竹中武率いる竹中組は親分を殺された怒りが収まらず、抗争終結後も山本広へ独自に報復を続ける。

竹中武は五代目山口組組長となる渡辺との盃を欠席し、竹中組は山口組を離脱。すると今度は山口組と竹中組の抗争『山竹抗争』が勃発。山口組の猛攻撃で竹中組は次々と組員が抜けて行き、竹中組はほとんど機能しなくなるが解散はせず一本独鈷で存在していた。 抜けていった竹中組の残党は山口組に分散して戻っていった。 

2005年に六代目山口組が発足すると竹中組の復帰話が持ちあがる。侠友会会長・寺岡修が奔走人となり竹中組の山口組復帰話をまとめていたとされている。話の内容は竹中武が引退し、姫路戦争で懲役20年を務めた元竹中組幹部の高山一夫という人物が三代目竹中組を継ぎ、山口組に復帰するというもの。

後は竹中武と六代目山口組若頭・高山清司で話をして終わりというところまで来たが、竹中武は引退を拒否し竹中組の総裁か顧問で残りたいと主張、高山清司との間で折り合いが付かず、復帰話は流れてしまったという。その後、2008年03月に竹中武は死去した。

2015年09月、六代目山口組は竹中組の名跡を復活させ、2015年09月10日頃に元竹中組組員の二代目柴田会会長・安東美樹が二代目竹中組組長を襲名した。六代目山口組が竹中組を復活させたことに対し、竹中家の関係者たちは懸念を示しているとも言われている。


参考 http://takabeya.com/?page_id=122


 ⇒ 関連記事 
六代目山口組『二代目竹中組』を継承した『安東美樹』組長の経歴
http://yakuza893.blog.jp/andomiki.html



政経塾について

政経塾(兵庫県)

◆所在地
兵庫県丹波市

◆加盟協議体
関西自由行動隊
全国平和連合

◆役職者
塾 頭 - 中野伸吾

最終更新:2015年05月30日(土) 15:16:13


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