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2019年07月12日15時50分頃、沖縄の指定暴力団『旭琉會』の富永清会長が亡くなった。74歳だった。

富永会長は1990年に内部対立から三代目旭琉会を絶縁され、沖縄旭琉会を結成して会長に就任。双方の組織で抗争となり、その後は冷戦状態が続いた。2011年に四代目旭琉会と沖縄旭琉会の合流を主導。2つの組織を統一して旭琉會を発足させ、会長に就任。沖縄で長らく続いていた流血抗争を乗り越え、悲願の一本化を果たした。


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指定暴力団「旭琉會」の富永会長が死去
2019年7月13日 05:00

(沖縄タイムス+プラス) https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/444995

指定暴力団「旭琉會」富永会長が死去
2019/07/13 11:29

(RBC 琉球放送) https://www.rbc.co.jp/news_rbc/指定暴力団「旭琉會」冨永会長が死去/

富永 清様 享年74歳
2019年07月14日

(沖縄おくやみ情報局) https://okinawaokuyami.com/info/20190715042347.html

“沖縄のドン”旭琉會・富永清会長逝く
2019年07月19日 20時10分

(週刊実話 WJN) https://wjn.jp/article/detail/5146887/






沖縄市が暴力団会長に弔電 旭流会会長の告別式に発送 一律発送システムで認識せず
2019年7月20日 10:04

(琉球新報) https://ryukyushimpo.jp/news/entry-956924.html

暴力団幹部の死去めぐり、沖縄市役所と琉球新報が批判応酬
2019.7.23 19:23

(産経ニュース) https://www.sankei.com/affairs/news/190723/afr1907230020-n1.html












沖縄の指定暴力団会長が死去 全国の暴力団関係者、弔問で続々沖縄入り 県警が警戒態勢
2019年7月25日 07:44

(沖縄タイムス+プラス) https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/449882

「反省」「問題なし」暴力団幹部死去で対応分かれる沖縄市と琉球新報
2019.7.31 11:00

(産経ニュース) https://www.sankei.com/premium/news/190731/prm1907310007-n1.html





このニュースのまとめ

  • 2019年07月12日15時50分頃、沖縄の指定暴力団『旭琉會』の富永清会長が、沖縄県中頭郡北中城村にある病院で逝去した。74歳だった。
  • 富永会長は約10年前から入退院を繰り返していて、病気のため搬送された病院で亡くなったとみられている。
  • 2019年07月15日、富永清会長の告別式が、沖縄県沖縄市字倉敷にある沖縄葬祭場で執り行われた。
  • 2019年07月19日、富永会長の告別式に、沖縄市が弔電を送っていたと琉球新報が報じた。富永会長の荼毘広告(告別式広告)が琉球新報と沖縄タイムスの07月15日朝刊に掲載されていて、沖縄市は荼毘広告に基づいて弔電を送っていた。
  • 沖縄市は、地元紙の荼毘広告に掲載された全沖縄市民に弔電を送っている。平日は市職員が広告を確認した上で弔電を送るが、土日祝は自動で弔電を送るよう郵便局に依頼していたという。
  • 琉球新報は、「暴力団にとって葬儀は『義理がけ』と言い、組織の勢力を誇示する機会となっている。公費を使って公人から弔電を送られたとなれば、反社会的勢力が市民の一人として認められた形になる」などとする弁護士のコメントを載せ、沖縄市を批判した。
  • 沖縄市の担当者は「このようなケースは想定していなかった。市幹部を含め仕組みづくりを検討する」と説明し、沖縄市長の桑江朝千夫は「故人を認識せずに送ったことについて、現在の仕組みを再検討する必要がある。(地元紙の)告別式広告では旭琉会会長だということは分かりようがない」などとコメントした。弔電費用は公費で592円だったという。
  • 2019年07月22日、沖縄市は、弔電を送ったのは地元2紙の告別式広告が原因で、「自分たちの責任には言及せず、一方的に市だけを批判したのは不公平だ」と琉球新報に抗議した。琉球新報は「一般の方である喪家から申し込みをいただき、指定暴力団による組織としての葬儀ではなく、ご家族が喪主の一般葬であるとの認識で掲載した」と回答し、広告を掲載したことに問題は無かったとの立場を示した。



旭琉會について

1990年、三代目旭琉会理事長だった富永会長は、内紛から三代目旭琉会を絶縁され、『沖縄旭琉会』を設立。沖縄の暴力団は分裂し、第6次沖縄抗争が勃発した。

1992年には両団体とも指定暴力団に指定された。抗争は落ち着き、冷戦状態となる。2010年に四代目旭琉会が発足する際、富永清会長は四代目会長の後見人となり、冷戦状態だった両団体は接近する。

2011年に四代目旭琉会と沖縄旭琉会が一本化し、沖縄旭琉会が四代目旭琉会を吸収する形で『旭琉會』が発足。沖縄の暴力団は統一され、富永会長が旭琉會の会長に就いた。



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