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2021年09月20日、六代目山口組幹部を務めた國領屋一家の富田丈夫初代総長が、病気のため亡くなった。78歳だった。

富田元総長は五~六代目山口組で最高幹部だった芳菱会の瀧澤考総長の下で若頭を長年に渡って務め、2009年に地盤を継承して國領屋一家を結成し、六代目山口組の直参に昇格。幹部を務めていた時期もあったが、2019年に病気療養のため引退していた。


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富田丈夫・初代國領屋一家総長が死去…二代目に託した「名門の誇り」
2021.10.03

(週刊実話) https://weekly-jitsuwa.jp/archives/34127



富田丈夫元総長の経歴

富田丈夫元総長は1943年07月生まれ、静岡県浜松市の出身。賭場に出入りしていた1966年頃に三代目山口組『八代目國領屋下垂一家(瀧澤組)』の組員と知り合い、渡世に入った。

國領屋下垂一家は、幕末の侠客である国領屋亀吉(大谷亀次郎)が浜松市で興した博徒組織である國領屋一家が源流。亀吉の引退後、縄張りを3つに分派して國領屋下垂一家、國領屋鍛冶町一家、國領屋成子一家(後の一力一家)の3組織が発足した。

1960年代、八代目國領屋下垂一家(瀧澤組)の瀧澤仁志総長、八代目國領屋鍛冶町一家(鈴国組)の鈴木国太郎総長、六代目國領屋一力一家(伊堂組)の伊堂敏雄総長は、三代目山口組若頭の地道行雄組長が率いる地道組に加入し、3つの國領屋は山口組の系列組織となった。

1969年05月に地道組長が亡くなり地道組が解散すると、1971年に3つの國領屋はそれぞれ三代目山口組の直系組織に昇格した。



國領屋下垂一家~芳菱会で若頭を20年以上務める

1984年06月に四代目山口組が発足すると、瀧澤総長、伊堂総長、鈴木総長の3名は引退。瀧澤総長らは、竹中正久組長の四代目襲名に反対する勢力が離脱して結成した一和会に参加予定だったが、直前に取りやめて引退したとみられている。

瀧澤仁志総長の実弟である瀧澤考若頭が九代目國領屋下垂一家総長を継承し、四代目山口組の直参に昇格。他の2つの國領屋もそれぞれ代替りして直参に昇格している。

富田総長は九代目國領屋下垂一家若頭に就任し、組織の屋台骨を支える存在となった。自身が率いる富田組の組員が一和会本部を銃撃するなどして武勲を上げた。

1989年05月に五代目山口組が発足すると、瀧澤孝総長は五代目山口組若頭補佐に起用され、山口組の最高幹部となった。ブロック制が導入されると、関東・北海道ブロック長を兼任した。

1991年に九代目國領屋下垂一家は組織改編し、五代目山口組の渡辺芳則組長が命名した芳菱会を結成。九代目國領屋下垂一家は芳菱会の傘下組織となり、若頭を務めている富田総長が十代目國領屋下垂一家総長を継承。富田総長は芳菱会でも引き続き若頭を務めた。

1997年11月、瀧澤総長は護衛の配下組員に拳銃を持たせていたとする共謀共同正犯で指名手配され、2001年07月に潜伏先で逮捕された。2003年06月に12億円の保証金で保釈されるまでの間、富田総長は組長不在となっていた芳菱会の組織運営を取り仕切った。その後も銃刀法違反の裁判で多忙な瀧澤総長を支えた。



六代目山口組の直参に昇格、幹部就任

2005年08月に六代目山口組が発足すると、瀧澤総長は引き続いて六代目山口組若頭補佐に留任。瀧澤総長は六代目山口組の司忍組長に六代目を襲名させるべく奔走し、司六代目を樹立した際には組長代行のポストを約束されていたとされるが、2008年には六代目山口組顧問となり、20年近く務めた山口組執行部から退出した。

2009年08月に瀧澤総長は引退し、芳菱会は解散した。20年以上ものあいだ若頭を務め上げた富田総長が芳菱会の地盤を引き継ぎ、國領屋の名称を復活させて國領屋一家を結成。09月に六代目山口組の直参に昇格し、六代目山口組若中に就任。その後、2012年04月に六代目山口組幹部に起用された。

2013年10月、國領屋一家の平松大睦若頭が二代目源清田会会長を継承し、内部昇格で六代目山口組の直参に昇格した。2005年06月に五代目山口組若中であった源清田会の江口光一会長が引退し、源清田会が解散すると、源清田会の幹部であった平松会長は芳菱会へ移籍。芳菱会が國領屋一家に改編されると若頭に就任し、國領屋一家の源清田会勢力を結集して直参となった。

2015年08月に六代目山口組が分裂して神戸山口組が結成された後、10月頃に國領屋一家の大瀧一門若頭補佐が離脱し、神戸山口組へ移籍。大瀧会長は元の親分である大澤忠興元組長とともに関東山川総業を結成し、若頭に就任。しばらくして関東山川総業は三代目山川組に改称。

大瀧会長は2018年09月に四代目山川組組長を継承し、神戸山口組の直参に昇格。四代目山川組を徳誠会へとさらに改称した後、2020年08月に神戸山口組若頭補佐に起用されている。



神戸山口組と抗争、病気療養で引退

2015年11月、國領屋一家系組長らと神戸山口組『四代目山健組』系組長らが東京都台東区の祭りで乱闘し、2016年07月に合わせて6人が暴行の疑いで逮捕された。

2016年08月、茨城県石岡市にある神戸山口組『三代目山川組』事務所前に止めていた車がにトラックが突っ込む事件が発生し、國領屋一家系組員が逮捕された。翌日には静岡県浜松市にある國領屋一家の本部と、傘下の八代目霊岸島桝屋服部会の事務所に相次いでトラックが突っ込む事件が発生し、三代目山川組系組員ら2人が逮捕されている。

2018年12月頃、富田総長は六代目山口組幹部を退任し、若中に降格。2019年07月、富田総長は病気の療養のため引退した。國領屋一家の戸塚幸裕本部長が二代目國領屋一家総長を継承し、六代目山口組の直参に昇格している。

2021年09月、富田元総長は闘病の末、亡くなった。享年78歳。



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