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若野康玄さんは右翼活動を経て、三代目山口組『北山組』傘下組織で渡世入り。北山組若頭、益田組舎弟頭、中野会副会長などを歴任し、2002年に引退して堅気となった。

現在は格闘技団体の会長などを務めており、自身の道場からK-1選手を輩出するなど、武道や格闘技の振興に精進している。

2023年02月05日、若野さんは心筋梗塞のため亡くなった。77歳だった。


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学生右翼からヤクザの道へ

若野康玄さんは1945年03月生まれ、大阪府大阪市の出身。近畿大学の空手部で主将を務め、大学4年の時に民族派学生組織である右翼団体『皇国学生同盟』を立ち上げ、初代代表に就任。過激派左翼のデモで乱闘するなど、右翼として鳴らした。

1971年頃、モーターボートの警備員をしていた時にノミ屋とトラブルとなり、相手を殴ってしまい逮捕される。ノミ屋とのトラブルは治まらず、三代目山口組『北山組』若頭補佐であった森組組長に解決を依頼し、トラブルは治まった。

若野さんはその出来事をきっかけに、約30人を引き連れて三代目山口組『北山組』傘下『森組』に若頭として加入し、26歳で渡世入り。矢野康生という渡世名で活動した。

1974年頃に北山組の北山悟組長と盃を交わし、北山組の直参に上がった。その後、北山組若頭補佐に起用された。

自身でも矢野組を率いて組長となる一方、右翼団体『大日本天誅団』を発足させ、任侠の精神と民族派の思想を融合した活動を行う。


若野康玄 田岡一雄
三代目山口組の田岡一雄組長らと写る若野さん(白ジャケットが若野さん)


山口組 ⇒ 一和会 ⇒ 山口組へ出戻り

1984年06月、四代目山口組の竹中正久組長の就任に反対する勢力が山口組を離脱し、一和会を結成。北山組長は一和会への加入を選択したため、若野さんは北山組長に準じて一和会に移った。一和会傘下となった北山組で若頭に抜擢される。

その後、一和会と四代目山口組との間で山一抗争が勃発。若野さんの前任の北山組若頭であり、北山組から一和会の直参に上がっていた石川裕雄会長が指揮し、一和会系幹部らで竹中組長の襲撃チームを結成。1985年01月に大阪府吹田市のマンションで竹中組長を銃撃し、竹中組長は亡くなった。

竹中組長が亡くなったことで四代目山口組は一和会へ猛攻し、熾烈な抗争が繰り広げられた。一和会は抗争で劣勢に立たされ、直系組長や傘下組員らが次々と脱落。1988年に北山組長は引退し、北山組は解散した。

若野さんは北山組の解散後、四代目山口組で舎弟頭補佐~組長代行補佐を務めていた益田佳於組長が率いる益田組に移籍し、益田組舎弟となった。益田組内で益生連合会を結成し、会長に就任。その後、益田組舎弟頭に起用された。

1997年05月に益田組長は病気で亡くなり、益田組は代替わりして二代目益田組が発足した。若野さんは引き続き二代目益田組舎弟頭を務めた。


若野康玄 石川裕雄
一和会の石川裕雄常任理事と若野さん(右が若野さん)


絶縁された中野会へ移籍するも、引退

1997年08月、五代目山口組の宅見勝若頭が銃撃され亡くなる事件が発生。犯人は五代目山口組若頭補佐を務めていた中野太郎会長が率いる中野会の傘下組員で、中野会長は五代目山口組から絶縁処分された。

2002年04月、独立組織となっていた中野会の弘田憲二副会長が、五代目山口組系組員に沖縄で銃撃され、亡くなる事件が発生。若野さんは弘田副会長と兄弟分であったため、弘田副会長の葬儀に参列した。

若野さんは、五代目山口組から絶縁処分された組織の幹部の葬儀に出席したことが問題視され、二代目益田組から絶縁処分された。

絶縁処分された若野さんは中野会へ迎え入れられ、亡くなった兄弟分の弘田副会長と入れ替わる形で中野会副会長に就いた。中野会内で太竜会を結成し、会長に就任した。

中野会へ移籍したものの長くは続かず、2002年のうちに若野さんは渡世から引退し、堅気となった。


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1989年にマスコミの取材を受けた若野さん


格闘技の振興に精進、K-1選手を輩出

引退後は空手などの武道や格闘技の振興に精進し、一般社団法人『競拳インターナショナル』代表理事、『全日本格闘技振興会』会長、『若獅子会館』館長などを務めている。多数の少年少女を選手として育て上げ、打撃系格闘技大会『K-1』に複数の選手を輩出している。

2022年06月に元俳優の高岡蒼佑さんを、2023年01月に元俳優の遠藤要さんを、自身が主催する格闘技大会『競拳』にて格闘技デビューさせ、表舞台復帰への足掛かりを提供したという。

有名な元K-1選手などの格闘技関係者、大阪府警本部長などの警察関係者、お笑い芸人などの芸能関係者、企業経営者など、交友関係が幅広く、政治家のパーティーにも出席しているとみられている。


岸田総理との写真流出で物議

2018年03月、写真週刊誌『FRIDAY』は『親密写真』と題して、当時、自民党の政調会長だった岸田文雄総理大臣と山口組系元幹部が一緒に写る写真が流出したと報じた。

この写真は別の自民党議員のパーティーに来ていた岸田さんと若野さんが一緒に写真を撮ったもので、若野さん自身がFacebookにアップしていた。

若野さんはFRIDAYの記事で名誉を毀損されたとして、発行する講談社を提訴。その後、裁判で講談社は損害賠償の支払いを命じられ、若野さんは勝訴したとみられている。


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岸田文雄総理大臣と若野さん


テレビ出演、著書発刊

2019年04月に放送された、BSスカパー!『ダラケ!〜お金を払ってでも見たいクイズ〜』の山口組特集の回に、元山口組系組長としてパネラー出演。山口組内の別の組織と揉めた際、70人の組員が待つ組事務所に1人で乗り込んで話をつけた出来事や、中野太郎会長のエピソードなどを語った。

2019年12月、著書『唯誠 さらば矢野康生』を発売。矢野康生としての渡世を振り返った。2021年06月に著書『俠拳 関西右翼・ヤクザ関係秘史』を発売。右翼の社会的存在意義、戦後の大物右翼の功績、国粋精神の必要性などを綴った。

2022年12月には著書『大阪アンダーワールド』を発売。大阪を舞台に生きる、スネに傷を持つ男達の生き様を描いた。

2023年02月05日、若野さんは大阪府内の自宅で心筋梗塞のため亡くなった。享年77歳。


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