IMG_4198

2018年04月25日、日本レスリング協会会長の福田富昭が、元六代目山口組顧問で大石組元組長の故・大石誉夫と、黒い交際を続けていたと週刊文春が報じた。福田は大石と東京都内の飲食店で会食したり、岡山にある大石の自宅を訪ねたとされる。大石は「もうウチに来ないほうがいい」と言ったが、その後も福田は大石との交際を続けていたという。


スポンサーリンク




レスリング協会・福田会長と山口組元最高幹部の“黒い交際”
2018/04/24 週刊文春 2018年5月3・10日号

(文春オンライン) http://bunshun.jp/articles/-/7162




パワハラ問題で揺れたレスリング協会会長の“黒い交際”報道……格闘技イベントにも波及か
2018.05.15 火

(日刊サイゾー) http://www.cyzo.com/2018/05/post_161923_entry.html



このニュースのまとめ

  • 2018年04月25日、週刊誌『週刊文春』2018年5月3・10日号は、日本レスリング協会会長の福田富昭(76)が元六代目山口組顧問で大石組元組長の故・大石誉夫と、黒い交際を続けていたと報じた。
  • 福田富昭は日本大学のレスリング部を経て、1965年の全日本選手権と世界選手権にてフリー・バンダム級で優勝。引退後は会社経営、1984年のロス五輪でレスリング監督、全日本女子レスリング連盟理事長、2008年の北京五輪で日本選手団団長、日本オリンピック委員会(JOC)で副会長や選手強化本部長などを務めた。現在は国際レスリング連盟名誉副会長、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会評議員、文部科学省五輪対策チーム実行委員長、美しい日本の憲法をつくる国民の会代表発起人などの職にあり、2003年から日本レスリング協会の会長を長らく務めている。
  • 2013年に大石が起こした医療コンサルタント会社の社長との民事裁判の陳述書の中で、福田と大石の交際が発覚した。福田と大石は2007年11月に東京都内の高級中華料理屋で会食し、その後に銀座のクラブに行った。2008年05月には岡山にある大石の自宅に行き、その後に日本大学名誉教授や会社社長、二代目大石組を継承する井上ら複数人で飲食店に行ったことなどが、陳述書で明らかにされた。
  • 北京五輪で団長を務める福田を見て大石は「もうウチに来ないほうがいい」と言ったが、その後も福田は大石との交際を続け、不動産の取引話なども交わされたという。1998年に歌手の故・マイケル・ジャクソンが来日した際のパーティーでは、住吉会会長の福田晴瞭、後藤組組長の後藤忠政らとも交流したとされる。
  • 福田は当初「選手が繁華街などで暴力団とトラブルになるのを避けるため、大石に挨拶しに行った」としていたが、文春の取材には「記憶にない、知らない」などと答えた。



大石誉夫について

IMG_4175

大石誉夫は、太政官の幹部から三代目山口組の直参となった実兄の大石宮次郎の影響で渡世を開始し、1961年頃に愛媛から岡山に拠点を移して活動した。大石組を結成して組長に就任。大石宮次郎が引退すると兄と入れ替わる形で、1971年に三代目山口組組長の田岡一雄から盃を受け、三代目山口組の直参に昇格した。

1984年に四代目山口組が発足すると舎弟に直り、1989年に五代目山口組が発足すると舎弟頭補佐に起用され、執行部入りした。五代目体制でブロック制が導入されると中国・四国・九州ブロック長を兼任する。山口組から離脱した竹中組との『山竹抗争』では、大石組の組員が竹中武組長の自宅にショベルカーで攻撃を仕掛けるなど、武闘派としての一面を見せた。

2005年に六代目山口組が発足すると六代目山口組顧問となり、2012年に引退。大石組で本部長や若頭を歴任していた井上茂樹が二代目大石組組長を継承し、六代目山口組の直参となっている。

大石は映画業界や芸能興行に太いパイプがあり、山口組の芸能部長の異名を持っていたとされ、東映のプロデューサーだった俊藤浩滋や、俳優の故・高倉健などと親交があった。ゼネコン工事の仕切り役なども務め、豊富な資金力があったとされる。2017年に逝去、84歳だった。



 ⇒ 関連記事 
日本大学の山岡永知・名誉教授が山口組の元最高幹部から2000万円を借りたまま返していないことが発覚
自民党の岸田文雄政調会長と山口組元幹部の親密写真が流出、FRIDAYが報じる
『日本維新の会』公認の奈良県香芝市議は『山健組』系元組員だった、週刊新潮が報じる
野田聖子総務大臣の夫は会津小鉄会『昌山組』元幹部で前科2犯、週刊文春が報じる





スポンサーリンク