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2022年07月25日、関東の的屋系暴力団である姉ヶ崎会が解散した。姉ヶ崎会は約130年の歴史があり、東京の浅草などに縄張りを持つ、老舗の的屋組織だった。


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関東の古参“ダフ屋”暴力団が解散へ 電子チケット普及で仕事なくなり、コロナ禍も影響
2022.07.28 15:30

(FLASH) https://smart-flash.jp/sociopolitics/193332/



このニュースのまとめ

  • 2022年07月25日付で、関東の非指定暴力団『姉ヶ崎会』は、姉ヶ崎会が解散するという旨の書状を、全国の暴力団組織に通達した。
  • 御通知と書かれた書状には、姉ヶ崎会の平林勝義代表の名で、一家一門が熟慮の末、姉ヶ崎会とその傘下組織の姉ヶ崎一家関東会、姉ヶ崎一家甲州家会、姉ヶ崎一家五十嵐会が、満場一致で解散することを決議したと記されていた。
  • 2022年07月25日付で、姉ヶ崎会幹事長を務めていた姉ヶ崎一家甲州家会の篠原照和会長の名で、姉ヶ崎会の解散に伴い、有志で協議した結果、浅草寺一円の庭場を守るべく、『浅草甲州家』を結成し、姉ヶ崎会の稼業を継承するという旨の書状も通達された。
  • 警察は、姉ヶ崎会が偽装解散した可能性もあるとみていて、正式には解散を認めていないとされる。



姉ヶ崎会の経歴

姉ヶ崎会は、関東甲州家を結成していた香具師の広野要次郎が、自身の親分であった黒須教次の名跡を伝えるため、黒須を初代として、小島貞二郎に二代目を継がせる形で姉ヶ崎を組織したのが始まりだとされる。

黒須教次は、千葉県市原市にあった姉ヶ崎村の出身だとされ、1890年代頃に東京都台東区にあった浅草区に出てきてテキ屋を始めたとみられている。

関東甲州家で広野要次郎の後を継いだ二代目の広野亀太郎(亀之助)は、関東におけるバナナの叩き売りの元祖だとされる。

姉ヶ崎は露店を手掛けて的屋として活動していたが、戦後にはコンサート会場の周辺でチケットを持っていない客にチケットを高値で転売する『ダフ屋』としての活動を広く展開した。

1960年頃、姉ヶ崎の分家や系統組織など、一門が大同団結して姉ヶ崎連合会が結成された。1984年、関東の的屋系暴力団の親睦団体として、極東会を中心に結成された『関東神農同志会』に加盟。

1992年03月に施行された暴力団対策法によって、多数の暴力団組織が指定暴力団に指定されたが、的屋系暴力団で指定されたのは極東会のみで、姉ヶ崎連合会は指定されなかった。

1997年12月、五代目山口組若頭補佐を務めていた三代目山健組の桑田兼吉組長が、ボディーガード役の組員の車から拳銃が発見されて逮捕された事件が発生するが、拳銃は姉ヶ崎連合会系組長が用意してボディーガード役に渡していた。この組長は実弟が山健組傘下組長であるため、実弟が組長を務める山健組傘下組織の相談役も務めていたという。

2006年に姉ヶ崎連合会は姉ヶ崎会へ改称。2022年07月、姉ヶ崎会は解散を決議し、約130年に亘る歴史に幕を下ろした。



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