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神戸山口組『山健組』若頭を務める與組の與則和組長の経歴。與組長は2000年頃に五代目山口組『三代目山健組』の直参に昇格。四代目山健組体制で若頭補佐、本部長を歴任した。2018年に五代目山健組が発足すると若頭に抜擢され、五代目山健組の最高幹部となった。

2019年04月に神戸市中央区の路上で、六代目山口組『三代目弘道会』系組員らに襲撃される事件が発生。重症を負ったが、一命を取り留めた。2020年07月に五代目山健組が神戸山口組から離脱するが、與組長らは複数の幹部らとともに神戸山口組に残留。新生山健組を結成し、引き続き若頭を務めている。


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大阪戦争で大日本正義団会長を銃撃

與則和組長は1953年生まれ。三代目山口組『佐々木組』傘下『片岡組』の出身。

1975年07月、賭場での揉め事から、大阪府豊中市の喫茶店で二代目松田組『溝口組』組員が、三代目山口組『佐々木組』系組員に拳銃を発砲する『ジュテーム事件』が発生。この事件をきっかけに『大阪戦争』と呼ばれる抗争が勃発する。

1976年10月、大阪府大阪市の日本橋で三代目山口組『佐々木組』系組員らが、二代目松田組『村田組』傘下『大日本正義団』会長に拳銃を発砲する『日本橋事件』が発生。この事件の実行犯の1人が與組長で、片岡組の片岡昭生組長とともに長期服役した。

その後、大阪戦争は三代目山口組の田岡一雄組長が狙撃される『ベラミ事件』が起こり、熾烈な大抗争に発展することとなる。

服役中に山口組は四代目組長の座をめぐって分裂し、佐々木組は山口組を離脱して結成された一和会に参加。これに不満を持った片岡組長は出所後に一和会『佐々木組』を離脱し、1988年頃に四代目山口組『二代目山健組』へ加入。これにより與組長は山口組に復帰した。



要職を歴任し、山健組のナンバー2となる

2000年頃、片岡組長が不可解な事件により三代目山健組から絶縁されると、片岡組組長代行だった與組長が地盤を引き継ぎ、三代目山健組の直参に昇格。2005年08月に四代目山健組が発足すると、與組長は四代目山健組若頭補佐に起用される。

2015年08月に六代目山口組が分裂して神戸山口組が結成されると、與組長は上部団体に準じて六代目山口組を離脱し、神戸山口組に参加。その後、四代目山健組本部長に就任した。

2017年04月に神戸山口組が分裂して任侠山口組が結成されると、與組長は四代目山健組を離脱して任侠山口組に参加した牟田会長に暴行を加え、乱闘する事件を起こして逮捕された。

2018年05月に四代目山健組が代替わりして五代目山健組が発足すると、與組長は五代目山健組若頭に抜擢され、五代目山健組の最高幹部となった。



六代目山口組へ移籍した組員に襲撃される

2019年04月、與組長は兵庫県神戸市中央区の路上で、六代目山口組『三代目弘道会』傘下『野内組』傘下『二代目北村組』組員に刃物で襲撃された。臓器に達する傷があり、大量に出血したが、一命を取り留めた。

この事件は、2017年09月に起きた神戸市長田区の路上で任侠山口組(現・絆會)の織田絆誠代表の車が襲撃され、ボディーガード役だった北村組組員が銃撃されて亡くなった事件の報復として行われたとみられている。

織田代表襲撃事件で亡くなった組員は、與組長襲撃事件の実行犯の舎弟だった。織田絆誠襲撃事件の犯人として四代目山健組系組員が指名手配されていたことから、五代目山健組の最高幹部となっていた與組長が狙われたとみられている。



五代目山健組が離脱、神戸山口組に残留

2020年07月、勾留中である五代目山健組の中田浩司組長は、五代目山健組が神戸山口組から離脱し、一本独鈷でやっていく意思を表明。與組長ら複数の幹部は中田組長の意思に反し、神戸山口組に残留した。

2020年08月、神戸山口組を離脱して独立組織となった五代目山健組は、與組長ら神戸山口組に残留した幹部らを処分する状を出し、與組長は絶縁処分された。09月には離脱した中田組長が神戸山口組から除籍処分された。

2020年09月、神戸山口組に残留した與組長ら元五代目山健組の幹部で新生山健組を結成。山健組は2つに分裂した。與組長は新生山健組で引き続き若頭を務めている。



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