後藤栄治

2024年09月02日、長崎県松浦市議会議員の男性の名誉を傷つける文書を配布したとして、元一和会系組長が名誉棄損の疑いで逮捕された。この元組長は、1985年に対立する四代目山口組の竹中正久組長ら3人を銃殺した事件を計画した1人で、事件から約40年間にわたって行方不明とされていた。

被害に遭った市議の男性は事件後に亡くなっていて、自決したとみられている。

2024年09月25日、市議の男性に辞職を強要したなどとして、逮捕されていた元一和会系組長が職務強要の疑いで再逮捕された。

2024年12月25日、市議の男性への職務強要と名誉毀損の罪で起訴された元一和会系組長の裁判で、裁判長は懲役2年6箇月・執行猶予4年の判決を言い渡した。


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組長ら3人射殺で指名手配も時効成立、75歳の男を名誉棄損容疑で逮捕…虚偽内容の文書を配布
2024/09/03 05:00

(読売新聞) https://www.yomiuri.co.jp/national/20240903-OYT1T50006/

元松浦市議の中傷文書配布 被害者死亡前に 容疑で75歳逮捕 /長崎
2024/9/3

(毎日新聞) https://mainichi.jp/articles/20240903/ddl/k42/040/313000c

山口組・竹中正久4代目組長など3人射殺か…時効成立も指名手配の75歳男逮捕 長崎・松浦市の元市議会議員への名誉毀損の疑い
2024年9月3日 火曜 午前11:47

(フジテレビ) https://www.fnn.jp/articles/-/753201

元松浦市議の名誉棄損容疑 諫早市の無職の男(75)を逮捕
2024/9/3(火) 20:06



(長崎文化放送) https://www.ncctv.co.jp/news/article/15412896

4代目山口組組長襲撃犯が逮捕…一和会会長に「見捨てられた」若頭が残した手紙
2024/09/05 06:00

(日刊ゲンダイ) https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/360082

元ヤクザが告白「私は山口組四代目を暗殺後、39年間捕まらずに生き延びた男を知っています」「一泊2日の旅行もしました」
2024年09月05日

(週刊新潮) https://www.dailyshincho.jp/article/2024/09051214/?all=1

元ヤクザが告白「私は山口組四代目を暗殺後、39年間捕まらずに生き延びた男を知っています」「手首から足首までみっちりモンモンが入っていた」
2024年09月05日

(週刊新潮) https://www.dailyshincho.jp/article/2024/09051215/?all=1

「伝説のヤクザ」40年めの逮捕で裏社会に走る衝撃…警察も「そんなに大物なの?」記者に逆質問
2024.09.07 06:00

(FLASH) https://smart-flash.jp/entame/304833/1/1/

<伝説の逃亡犯が御用>「まさか生きていたとは…」組長射殺も”39年間逃げ延びた男”が名誉棄損容疑で逮捕「子分の解放と引き換えに自首するはずだったが逃亡してそのまま…」〈山一抗争で指名手配〉
2024.09.07

(集英社) https://shueisha.online/articles/-/251504

四代目山口組組長らを射殺した男「40年目の驚愕の逮捕」
2024/09/08 17:30

(サイゾー) https://www.cyzo.com/2024/09/post_371138_entry.html

「生きとったんか!」山一抗争で山口組組長を射殺したヒットマン部隊直属の指示役が逮捕されヤクザ界騒然 指名手配され約40年行方不明だった男の“数奇な運命”
2024.09.11 11:00

(週刊ポスト) https://www.news-postseven.com/archives/20240911_1989610.html

「日本ヤクザ史上最悪」と呼ばれた「山一抗争」の《最大のキーマン》が緊急逮捕…!四代目山口組組長を射殺した首謀者の「40年にも及ぶ逃亡生活」を懲役太郎氏が明かす
2024.09.13

(週刊現代) https://gendai.media/articles/-/137197

人気YouTuberの懲役太郎氏が明かす《四代目山口組組長射殺実行犯》の「懺悔の言葉」...「話が違う」「家族の面倒は見る、と言われていたのに」
2024.09.13

(週刊現代) https://gendai.media/articles/-/137205

元松浦市議の名誉棄損容疑で会社員の男(58)を逮捕 虚偽の事実を書いた文書を作成した疑い
2024/9/13(金) 20:36

(長崎文化放送) https://www.ncctv.co.jp/news/article/15426751

「組長、若頭3人暗殺事件から約40年逃亡の末に」 4代目山口組・竹中組長射殺犯はいかにして逃げ続けられたのか
2024年09月19日

(週刊新潮) https://www.dailyshincho.jp/article/2024/09190552/?all=1

「山一抗争」組長射殺事件で時効の男、半ば公然と中学の同窓会に…別の姓を名乗り写真撮影「俺はいい」
2024/09/21 10:57

(読売新聞) https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20240921-OYTNT50023/

「わいせつ行為をしたことを…」ウソの内容で脅迫、暴行し元市議に辞職強要か 70代の男逮捕
2024年09月25日 18:34

(テレビ長崎) https://www.ktn.co.jp/news/detail.php?id=20240925010

「生きてたのか」山口組組長射殺の指示役逮捕 山一抗争、銃撃された捜査員36年目の独白
2024/10/30 18:00

(産経新聞) https://www.sankei.com/article/20241030-CFOEJ2I6HNOKBPA7XHRY324LCE/

元松浦市議への名誉毀損・職務強要 諫早市の無職の男の初公判
2024/12/11(水) 19:35



(長崎文化放送) https://www.ncctv.co.jp/news/article/15546014

元松浦市議の名誉棄損の罪 男に執行猶予付き判決
2024/12/25(水) 15:30

(長崎文化放送) https://www.ncctv.co.jp/news/article/15564961


このニュースのまとめ

  • 2024年09月02日、元一和会『二代目山広組』若頭で後藤組組長だった後藤栄治こと宮本榮治(75・長崎県諫早市)が、名誉棄損の疑いで逮捕された。
  • 逮捕容疑は2024年02月下旬、長崎県松浦市にある2箇所の飲食店で、知人で松浦市議会議員の男性(30代・長崎県松浦市)について、「正月明けから連日連夜はしゃいでいる」「わいせつ罪を犯している」などと書かれた虚偽の内容の文書を店を通じて客に配布し、男性の名誉を棄損した疑い。
  • 男性は、2024年02月29日に長崎県松浦市にある川沿いで亡くなっているのを発見されていて、自殺とみられている。本人は亡くなったが、関係者が警察に被害届を提出していた。
  • 後藤は1985年01月26日に発生した、対立する四代目山口組の竹中正久組長ら3人を拳銃で発砲して暗殺した事件を計画した1人で、事件後に逃走して行方不明だとされていた。後藤は指名手配されていたが現在は時効を迎えているという。
  • 捜査関係者は『(竹中組長の事件は)時効が成立しているが、任意で事情を聞くことはできる』と話しているという。
  • 2024年09月03日、新たに自営業の男(63・長崎県松浦市)が、名誉棄損の疑いで逮捕された。共犯者だとみられている。
  • 2024年09月13日、新たに会社員の男(58・長崎県松浦市)が、名誉毀損の疑いで逮捕された。男は後藤から依頼を受けて、元松浦市議の男性について虚偽の事実が書かれた封書を複数通作成したとみられている。
  • 2024年09月25日、逮捕されていた元一和会『二代目山広組』若頭で後藤組組長だった後藤栄治こと宮本榮治が、職務強要の疑いで再逮捕された。
  • 再逮捕容疑は2023年10月20日、松浦市議会議員の男性に「公務員をやめろ。そうしないとわいせつな行為をしたことを手紙でバラまくぞ」などと嘘の内容で脅迫し、顔面を殴る暴行を加えて辞職するよう強要した疑い。
  • 警察の取り調べに対し、後藤は「そのようなことはしていません」などと供述しているという。
  • 2024年10月15日までに、長崎地検佐世保支部は逮捕されていた元一和会『二代目山広組』若頭で後藤組組長だった後藤栄治こと宮本榮治を、名誉毀損と職務強要の罪で起訴した。
  • 2024年12月11日、逮捕され職務強要と名誉毀損の罪で起訴されていた、元一和会『二代目山広組』若頭で後藤組組長だった後藤栄治こと宮本榮治の初公判が長崎地裁佐世保支部で開かれた。
  • 後藤は起訴内容を大筋で認め、裁判官からの被告人質問では「今日までの間、自重してやってきたのは事実」と話した。弁護側は職務強要について「手の甲で顔を叩いたのではなく、手が触れただけ」などとして一部否認した。
  • 2024年12月25日、元一和会『二代目山広組』若頭で後藤組組長だった後藤栄治こと宮本榮治の判決公判が長崎地裁佐世保支部で開かれ、裁判長は懲役2年6箇月・執行猶予4年(求刑懲役2年6箇月)の判決を言い渡した。
  • 裁判長は『元市議の男性は元暴力団員だった被告を恐れていて、被告による攻撃がエスカレートした結果、思い悩んで自決するに至った。犯行は執拗さと陰湿さが際立っており卑劣極まりない。SNS等による誹謗中傷が社会問題化しており、誹謗中傷による自殺者も後を絶たない状況から、この種の犯行については一般予防の見地からも厳罰に処すべきである。刑事責任は重いが、自決の結果責任を直接問うものではなく、量刑上考慮するにしても限界があり、直ちに刑務所へ収容すべき事案とまでは言えない。被告は犯罪の成立については認め、反省の言葉を述べている』という旨を述べた。


山一抗争について

1981年07月に三代目山口組の田岡一雄組長が亡くなり、跡目の山本健一若頭も1982年02月に病没すると、三代目山口組は組長と跡目が不在という事態になる。1982年06月に山本広若頭補佐が組長代行、竹中正久若頭補佐が若頭に就任し、三代目山口組は暫定体制で継続する。

1982年09月に山広代行が四代目山口組組長に立候補すると、竹中若頭や幹部らが山広代行の組長就任に反発し、いったん組長就任の話は立ち消えた。山広代行の組長就任に反対する勢力が竹中若頭を推し、三代目山口組の直系組長は山広派と竹中派、中間派に分かれることとなる。

田岡組長の妻である田岡文子未亡人も山広代行の組長就任を拒み、竹中若頭を組長に擁立。1984年に文子未亡人は竹中若頭の四代目襲名は田岡組長の遺志であるとし、竹中若頭の四代目襲名が決まった。

天下取りに敗れた山広代行は複数の直系組長を誘い、山口組を離脱して離脱組で新組織『一和会』を結成。竹中組長をトップとして発足した四代目山口組は、一和会への義絶状を送った。その後、四代目山口組と一和会との間で『山一抗争』と呼ばれる抗争が勃発し、抗争事件が頻発することになる。


竹中四代目銃撃事件

一和会常任理事で悟道連合会会長の石川裕雄を指揮官として、竹中四代目の襲撃部隊が結成される。一和会『二代目山広組』若頭で後藤組組長の後藤栄治が実行犯の4人を選定した。

1985年01月26日、実行犯ら4人は大阪府吹田市にあるマンションのエレベーターに乗る竹中四代目に向けて拳銃を発砲。竹中四代目は付き添いの中山勝正若頭、南力若中とともに撃たれ、翌日までに3人全員が亡くなった。

1985年02月、後藤が率いる後藤組の若頭が、四代目山口組『弘道会』系組員の竹内照明ら数人に拉致され、後藤の居場所を言うように迫られた。若頭は後藤の居場所の言わなかったため、竹内らは後藤組を解散するなら若頭の命を保証するという条件を提示。

若頭の拉致を聞いた後藤は組の解散届を警察署に提出し、山口組本部に詫び状を送付。若頭の解放と引き換えに警察に自首することを約束した。しかし、若頭が解放されても後藤は自首せず、行方をくらました。

石川と後藤は指名手配を受け、石川は1986年07月に逮捕された。その後、指揮役の石川と実行役4人に無期懲役、見張り役3人に懲役20年の判決が言い渡されている。


一和会の敗北、山一抗争終結

山口組から離脱した当初は、一和会の方が組員の数で優勢だとみられていたが、一和会発足前に山広派だった複数の直系組長が参加を見送っていた。四代目山口組からの切り崩しで一和会は劣勢になり、引退する者や山口組に出戻る者が相次いだ。

竹中四代目が亡くなったことで四代目山口組は一和会へ猛攻し、全面抗争に発展する。一和会幹部や傘下組員らが襲撃される事件が多発し、一和会の直系組長らが次々に脱落、もしくは葬られ、一和会の敗戦は確実視された。

稲川会の稲川聖城総裁の仲裁により、1989年03月に一和会の山本広会長は引退して一和会は解散。山広会長は四代目山口組本家へ出向いて正式に謝罪し、山一抗争は終結した。一和会の傘下組員らの多くは山口組へ出戻った。

山一抗争では計317件の抗争事件が発生し、組員らの逮捕者は560人。一和会側に死者19人、負傷者49人、四代目山口組側に死者10人、負傷者17人、警察官と市民に負傷者4人を出す大抗争となった。

指名手配されていた後藤はその後も逃走を続け、現在は時効が成立しているという。




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