金澤成樹 指名手配

絆會(旧・任侠山口組)の金澤成樹若頭は、絆會の織田絆誠会長に30年以上も仕えて来た、織田会長の腹心で、絆會のナンバー2を務めている。

2020年09月、長野県宮田村で六代目山口組系組織へ移籍した自身の元部下を銃撃する事件を起こし、そのまま逃亡。指名手配されているが、現在も行方は分かっていない。 ※2024年02月に逮捕された

金澤若頭は、2022年01月に茨城県水戸市の組事務所で六代目山口組系幹部が銃撃されて亡くなった事件と、2023年04月に兵庫県神戸市のラーメン店で六代目山口組系組長が銃撃されて亡くなった事件の犯人ではないかとも言われている。

もし、金澤若頭が指名手配を受けて逃亡中にこれらの事件を起こしていたとしたら、伝説のヒットマンとして後世に語り継がれるほど吃驚仰天の所業である。

 ⇒ 長野県宮田村の銃撃事件で指名手配中の金澤若頭を逮捕 




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織田会長の腹心、共に歩む

金澤成樹は1968年生まれ、本名は金成行。絆會(旧・任侠山口組)の織田絆誠会長の古くからの側近で、織田一門の中心的存在。

織田会長は1984年頃、大阪の独立組織の酒梅組『張本組』に預かりとして加入したが、1987年頃に酒梅組を脱退。大阪の天満周辺で一本独鈷の天誠会を結成し、金澤若頭は初期メンバーとして加入した。

1988年、織田会長は後に五代目山口組若頭補佐となる、当時は四代目山口組若中だった倉本組の倉本広文組長と盃を交わし、倉本組に加入。織田興業を設立し、金澤若頭は織田興業の所属となった。1989年に織田会長は倉本組幹部に抜擢され、倉本組長のボディーガードも務めた。

1990年、組員の加入をめぐるトラブルから、五代目山口組と波谷組との山波抗争が勃発。波谷組の波谷守之組長は、三代目山口組若頭補佐だったボンノこと菅谷政雄組長の舎弟だったが、内部抗争の三国事件で菅谷組長が絶縁され、自身も三国事件で逮捕されるも無罪を勝ち取り、一本独鈷の波谷組を大阪で構え、最後の博徒と評される有名な組長だった。

山波抗争の勃発から2日後、織田興業の組員2人は大阪市北区で波谷組『平澤組』系組長を拳銃で銃撃した。織田会長はこの事件の首謀者として逮捕され、懲役12年の刑を受けて服役することとなった。織田会長は服役中、倉本組若頭補佐に昇格している。

金澤若頭は他の幹部らと共に織田会長の留守を守っていたが、1996年に起きた倉本組の内部抗争で対立相手を銃撃し、金澤若頭も長期服役した。


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絆會の織田絆誠会長


織田会長と共に出世、山健組幹部に

織田会長は2002年に刑務所から出所するが、倉本組長は1998年に亡くなっていて、倉本組は貴広会と倉心会に分裂していた。織田会長は、服役中に刑務所内で親交を深めて一足先に出所していた、後に神戸山口組組長となる井上邦雄組長が率いる、五代目山口組『三代目山健組』傘下『四代目健竜会』に加入。

織田会長は四代目健竜会で若中、若頭補佐を務め、2005年に三代目山健組の直参に昇格。井上組長が四代目山健組組長を継承すると、織田興業を邦尽会に改称し、四代目山健組体制で若中、本部長代行、若頭補佐、本部長を歴任した。

織田会長は、四代目山健組から処分された有力組織である三島組の残党を吸収するなどして勢力を拡大し、織田一門を一大ブランドに築き上げた。四代目山健組の最高幹部として組織改革を断行し、山健組内での地位を確立した。

井上組長は、2005年に発足した六代目山口組体制で幹部、若頭補佐を務め、山口組本家の最高幹部となった。

金澤若頭は2008年頃に刑務所から出所し、織田会長の後を継いで二代目邦尽会会長を継承。四代目山健組の直参に昇格し、後に四代目山健組傘下で長野県松本市に本部を置く三代目竹内組組長を継承した。四代目山健組では若中、幹部、若頭補佐を歴任した。


力道山を刺した男 村田勝志


六代目山口組を離脱、神戸山口組の結成

2015年08月、六代目山口組から四代目山健組を含む複数の直系組織が離脱し、離脱組で神戸山口組が結成された。

六代目山口組では、司忍組長と高山清司若頭が同じ弘道会の出身で、これまで本流だった山健組系組織が冷遇され、弘道会に近い組織が優遇されるようになったとされ、高山若頭の強権的な恐怖政治による内部統治などで、山口組内部で不満が高まっていたとされる。

2008年10月には、六代目山口組舎弟だった後藤組の後藤忠政組長の処分問題が起き、後藤組長を擁護する他の直系組長らが六代目山口組執行部を批判。執行部は謀反の動きがあるとして、10数名の直系組長を一斉に処分するという出来事も起こっていた。

弘道会方式の組織運営において、意に沿わない直参への叱責や理不尽な処分、会費など上納金の高騰、直参に日用品やミネラルウォーターの購入を強要、不透明な会計処理、名古屋に山口組の本家を移す計画などがあったとされ、これらの不満から複数の直系組織が離脱するに至ったとみられている。

井上組長は神戸山口組の組長に就任し、四代目山健組は神戸山口組の中核組織となった。

織田会長は四代目山健組に準じて神戸山口組に参加し、神戸山口組の直参に昇格。神戸山口組若頭代行に就き、神戸山口組の顔役として組織固めに奔走。その活動はメディアでも取り上げられ、一躍時の人となり大ブレイクすることとなった。

金澤若頭は、神戸山口組の傘下となった四代目山健組で引き続き若頭補佐を務め、多忙を極める織田会長を支えた。

分裂以後、六代目山口組と神戸山口組との間で分裂対立抗争が勃発。組員同士の小競り合いや暴行事件、組事務所への車両特攻や発砲などが相次ぐようになり、2016年04月に神戸山口組は指定暴力団に指定された。

金澤若頭が率いる三代目竹内組がある長野県でも六代目山口組系組織との抗争が多発し、三代目竹内組は長野県での抗争の中心となって攻防を繰り広げた。対立組織との小競り合い、高速道路での通行妨害、車両への発砲などの事件が起こっている。

2016年08月には、金澤若頭は岐阜県で六代目山口組『三代目弘道会』傘下『野内組』組長や幹部を襲撃しようとしたとして、他の神戸山口組『四代目山健組』系幹部らとともに逮捕。後に不起訴処分となっている。


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神戸山口組の井上邦雄組長


神戸山口組を離脱、任侠山口組の結成

2017年04月、神戸山口組から織田会長を中心に複数の組織が離脱し、離脱組で任侠山口組が結成された。織田会長は組織運営をめぐって井上組長と衝突し、神戸山口組に見切りをつけたとみられている。

金澤若頭は任侠山口組の結成に尽力し、四代目山健組からは約3分の1が離脱することとなった。金澤若頭は任侠山口組本部長補佐に就任し、関東系の元四代目山健組系組織を束ねる山健連合会を結成して会長に就いた。自身が率いた三代目竹内組を代替わりさせ、宮下聡組長が四代目竹内組組長を継承した。

任侠山口組の本部事務所は、織田会長とともに神戸山口組を離脱した池田幸治組長が率いる、兵庫県尼崎市にある四代目真鍋組の組事務所を使用することとなった。その後、2018年09月に四代目真鍋組の組事務所が使用禁止の仮処分命令が下ると、兵庫県尼崎市にある二代目古川組の組事務所を拠点とした。

任侠山口組は、結成直後の2017年04月と08月、二代目古川組事務所にマスコミを集めて記者会見を行い、金澤若頭は記者会見に参列した。

記者会見では、神戸山口組の組織運営の実態や内部事情などについて話し、金銭の吸い上げが酷い、山健組ひいきが酷い、進言諌言を聞き入れないなどとして、神戸山口組は六代目山口組よりも悪政だったことを明かした。

金澤若頭は記者会見で、2017年01月に自決した四代目山健組若頭補佐について、自決の原因となったであろう金銭の吸い上げについて語った。


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記者会見を開いた金澤若頭ら任侠山口組の最高幹部たち


神戸山口組の衰退、直参の減少

神戸山口組は、六代目山口組の高山清司若頭を中心とする弘道会支配への不満を背景に、結成当初は他団体からの味方も多く、六代目山口組から組員の移籍もあって勢いがあったものの、六代目山口組との抗争でやられっぱなしの場面が続き、徐々に勢いが陰って行った。

神戸山口組からさらに分裂した任侠山口組に組織の内情を暴露され、井上組長の求心力は低下。2019年末頃から直系組長の引退が続き、複数の直系組長や傘下組織の脱退や引退、六代目山口組系組織への移籍などが相次ぎ、組員数は激減した。

2020年07月には、井上組長から引き継いで五代目山健組を継承していた中田浩司組長までもが離脱。六代目山口組へ直参として移籍した。神戸山口組結成の首謀者である、井上組長以外の4人の大御所と呼ばれる神戸山口組の最高幹部は、2022年09月までに全員が神戸山口組から去っている。

また、六代目山口組からの襲撃も苛烈になり、複数の傘下幹部や、本家幹部までもが銃撃されて亡くなっている。

抗争が激化したことから、2020年01月に複数の府県の公安委員会が両山口組を特定抗争指定暴力団に指定し、複数の市町を警戒区域に設定した。警戒区域に設定された自治体にある両山口組の組事務所は使用禁止となった。


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神戸山口組を離脱した五代目山健組の中田浩司組長


任侠山口組も衰退、絆會に改称

任侠山口組は、これまでのヤクザ組織の悪しき慣習を打破し、任侠の原点に返り、山口組の再統一、反社会勢力からの脱却、民間軍事会社の設立構想、国家国民への貢献などの大義を掲げて結成したが、当初から組員の脱落が目立ち、幹部らの脱退、内紛、襲撃事件などもあって、ヤクザ界に革命を起こすことは出来ていない。

金澤若頭が先代組長を務めた四代目竹内組では、2017年06月に若頭が自宅で拳銃を所持していたとして逮捕。1審で無罪判決を受けたものの、2審で懲役7年が言い渡された。2017年07月には四代目竹内組の内部でトラブルがあり、傘下組員が暴行を受けて亡くなるという内輪揉めが起こった。

2017年09月、織田会長が乗る車の車列を神戸山口組系組員(当時)が銃撃し、ボディーガード役の組員が亡くなる事件が発生。犯人は現在も逃走している。この事件は、任侠山口組が記者会見で井上組長を痛烈に批判したことが背景にあるとされる。

2018年09月には、任侠山口組舎弟頭の北村隆治組長など幹部数人が、六代目山口組『三代目弘道会』傘下『野内組』へ移籍。その他にも、複数の幹部や傘下組織が六代目山口組系組織へ移籍しているとみられている。

任侠山口組は2018年03月に指定暴力団に指定され、2020年01月に絆會へ改称。2020年03月頃から絆會が解散するのではないかと噂され、07月には織田会長が解散の意向を示すも、組員らから反対の声が上がるなどもあって、解散は撤回されたという。

2020年08月、任侠山口組本部長、若頭を歴任した四代目真鍋組の池田幸治組長と、任侠山口組本部長補佐、本部長を歴任した二代目古川組を名乗る山崎博司組長が引退した。

金澤若頭は任侠山口組本部長補佐を経て、2018年03月に若頭補佐、その後に副本部長を務め、2018年09月には会長に就いていた山健連合会を織田連合へ改称したとされる。

絆會の最高幹部だった池田組長、山崎組長、北村組長が組織を去った後、金澤若頭は2020年08月に絆會若頭に抜擢され、絆會のナンバー2となった。




後継組長を銃撃、行方をくらます

2020年09月、金澤若頭が代目を譲っていた、絆會幹部を務める四代目竹内組の宮下聡組長が絆會を離脱し、六代目山口組『三代目弘道会』傘下『三代目高山組』へ移籍した。

宮下組長は絆會が解散する方針だったため、ヤクザを継続するために縁があった三代目高山組への移籍を計画。その後に絆會が解散を撤回したものの、話を通していた三代目高山組へ移籍する意志を固めていたとみられる。

金澤若頭は宮下組長に移籍をやめるよう説得したが不調に終わり、所持していた拳銃で宮下組長を銃撃。金澤若頭は現場から逃走し、警察が逮捕状を取って指名手配するも、現在まで行方は分かっていない。

撃たれた宮下組長は重傷を負ったが、命に別条は無かった。宮下組長は六代目山口組『三代目弘道会』傘下『三代目高山組』へ移籍した後、2020年10月に内部昇格で三代目弘道会の直参に上がっている。金澤若頭が務めていた三代目竹内組組長の名跡を抹消し、宮下組長が三代目竹内組組長を名乗ることとなった。

2022年夏頃には、逃亡中の金澤若頭は口封じのため内部で粛清されて亡くなったなどとする、金澤若頭の死亡説が流布されたが、織田会長は『金澤は生きている』と話しているとされる。


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指名手配された金澤若頭


金澤若頭の犯行説がある事件

2022年01月17日昼、茨城県水戸市にある六代目山口組『三代目一心会』傘下『三代目三瓶組』の組事務所で、神部達也若頭が拳銃で撃たれて亡くなっているのが発見された。三代目三瓶組は絆會とトラブルがあったとされていて、絆會による犯行が疑われているが、犯人は捕まっていない。

2023年04月22日昼、兵庫県神戸市にあるラーメン店『中華そば 龍の髭』で、店主で六代目山口組『三代目弘道会』若中を務める湊興業の余嶋学(湊学)組長が、何者かに銃撃されて亡くなる事件が発生した。

この事件も犯人は捕まっておらず、事件の背景なども不明。これまでに流れた情報では、余嶋組長は野球賭博の胴元をやっていたが、勝ち金を支払えず多額の負債があり、勝ち金を貰えていない人物の犯行説。余嶋組長は三代目弘道会の会費などを滞納していたため、組織から粛清された説。六代目山口組と対立する神戸山口組や絆會の犯行説。六代目山口組『二代目兼一会』の犯行説。などの推測がされた。

2023年06月、ラーメン店の周辺の防犯カメラの映像が出回り、犯人とみられる男の姿が捉えられていた。この犯人とみられる男は、金澤若頭ではないかと言われている。

金澤若頭は2020年09月の銃撃事件以降、足取りは分かっておらず、警察の指名手配から逃げ隠れたままだが、指名手配を受けて逃走中に、新たに対立組織の組員2人をそれぞれ銃撃して始末するという所業をやって退けたとしたら、日本の歴史上トップクラスのヒットマンとなり、映画化され、後世に語り継がれる程の衝撃である。

2020年09月の銃撃事件の後に逃走せずに出頭していれば、おそらく10~15年程度の懲役刑となっていたであろうが、もしその後に新たに2人も銃撃して絶命させていたとなると、捕まれば死刑は免れないとみられる。

金澤若頭は誰かに逃走資金を提供されているのか、誰かに匿ってもらっているのか、誰かに指示されて新たな犯行を重ねたのか、自暴自棄になり残りの人生を諦め、無敵の人となり犯行を重ねたのか、そもそも上記の事件の犯人は本当に金澤若頭なのか、今の段階では分かっていない。


「女ヤクザ」とよばれて ヤクザも恐れた「悪魔の子」の一代記


 ⇒ 長野県宮田村の銃撃事件で指名手配中の金澤若頭を逮捕 






 ⇒ 金澤若頭が犯人とみられる茨城県水戸市の銃撃事件 






  ⇒ 金澤若頭が犯人とみられる兵庫県神戸市の銃撃事件 










 ⇒ 他の組長の経歴 


























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