
2016年03月23日頃、六代目山口組の二次団体で福岡市博多区にある『光生会』が、同じく二次団体で福岡市中央区にある『二代目伊豆組』の傘下組織となることが分かった。
光生会の光安克明会長は六代目山口組若頭補佐と九州ブロック長を務める執行部の一員だったが、本家の役職を返上して二代目伊豆組の相談役か舎弟に就いたようで、異例の降格となっている。
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山口組で異常事態続出 直系組織が資金難で吸収 元直系組長5人に絶縁処分
2016.04.07
(zakzak by 夕刊フジ) http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20160407/dms1604071550007-n1.htm
菱のカーテンの向こう側㊷ 六代目山口組九州ブロックに動き 光生会が二代目伊豆組に合流
2016.03.24
(R-ZONE) http://r-zone.me/2016/03/post-1392.html
光生会が伊豆組に加入だってさ!
— 極め道 (@2_r8l8) 2016年3月24日
本部の役職も返上だってさw
若い衆もいないし
金もなくなったかw
光生会 池 若頭が二代目伊豆組若頭補佐 二代目光生会会長に。
— 本部長 (@yokohamabj) 2016年3月26日
光生会から伊豆組直参 3名とのこと。
光生会初代 光安会長は本家直参からは降りて 伊豆組での役職のみとのこと。(役職は未確認)
— 本部長 (@yokohamabj) 2016年4月5日
このニュースのまとめ
- 2016年03月23日頃、六代目山口組の二次団体で福岡市博多区にある『光生会』が、同じく二次団体で福岡市中央区にある『二代目伊豆組』の傘下組織となることが分かった。
- 光生会の光安克明会長は六代目山口組若頭補佐と九州ブロック長を務める執行部の一員だったが、本家の役職を返上して二代目伊豆組の相談役か舎弟に就いたとみられる。
- さらに光生会は代替りして光安克明は一人親方となり、光生会若頭だった池豊が二代目光生会会長を継承し、二代目伊豆組若頭補佐に就任した。
光生会について

光生会の本部事務所とみられる建物 【出典】https://www.google.co.jp/maps/place/〒812-0016+福岡県福岡市博多区博多駅南5丁目22-36/
光生会
光生会(こうせいかい)は福岡県福岡市博多区博多駅南5-22-36に本部を置く暴力団で、六代目山口組の二次団体。旧伊豆一家
<光|生>
◆光生会組織図会 長 - 光安克明(六代目山口組若頭補佐・九州ブロック長代理)
◆執行部若 頭 - 池 豊(二代目池組組長)本部長 - 荒牧 徹(荒牧組組長)組織委員長 - 古賀 明(太白会会長)最終更新:2015-09-13 09:56:11
光生会は六代目山口組の二次団体、福岡市博多区に本部を置いている。会長の光安克明は六代目山口組若頭補佐。
光生会は『九州のドン』と言われた伊豆組組長・伊豆健児の実子分であった伊豆誠一が立ち上げた伊豆一家を源流としている。伊豆誠一は伊豆組若頭を務めた後、1989年に五代目山口組が発足すると内部昇格で五代目山口組の直参となった。
2001年04月に伊豆誠一が引退すると、伊豆誠一の実子分で伊豆一家若頭だった光安克明が地盤を引き継いで光生会を立ち上げ、五代目山口組の直参に昇格した。
2005年に六代目山口組が発足すると光安は六代目山口組幹部に起用される。2007年09月には香川県の二代目親和会会長・吉良博文と五分兄弟分の盃を交わし、山口組と親和会は友好団体となった。
2013年02月には六代目山口組若頭補佐に昇格して執行部入り。九州ブロック長代理も兼任していたが、2015年09月には九州ブロック長に就任している。
参考 獨歩舎『実話時代 2015年3月号』メディアボーイ(2015/01/29)
参考 https://ja.wikipedia.org/wiki/光生会
参考 https://zh.wikipedia.org/wiki/光生會
参考 http://wikiyakuza.wiki.fc2.com/wiki/光生会
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コメント
コメント一覧 (18)
徳川幕府を組運営のモデルにしているともいわれるが、
その意味では今や幕末の感がある。
引退より不様な晒し首!?
どっちも大分出身
大分県知事は責任をとって辞職しろ~
維新がある
維新ってことは
お互いの組織から改革派は残る
役者は揃ってるのかな?
幕府側
薩長土肥側
なんか
いなそうだよなあ6も神も役不足だ
若い人間が組織や仕組みを変えないと
っても無理か?
ベテランの改革派がしっかとしないと・・・