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五代目工藤會の経歴その③。工藤會は九州で最大級の暴力団組織に登りつめる一方で、残虐な事件を繰り返して来た。長年に渡って市民への襲撃事件を多数起こし、さらには工藤會の内部でも粛清を行っていた。


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市民への襲撃事件を多数起こす

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工藤會は暴力団同士の抗争だけでなく、市民をターゲットにした事件を多数起こしていた。工藤會が市民をターゲットに起こしたとみられる事件を分かる範囲でまとめると

  • 1987年12月、みかじめ料を断った北九州市小倉北区にある健康レジャーの駐車場で、車39台に塗装剥離剤が掛けられる。
  • 1988年01月、上記の健康センターに殺鼠剤(ネズミ駆除用毒剤)が投げ込まれ、150人以上の市民が中毒症状を起こした。
  • 1988年03月、福岡市にある中国総領事館に向けて散弾銃で銃撃される。
  • 1988年03月、暴力団担当だった元福岡県警警部の、福岡県宗像市にある自宅にガソリンが撒かれて放火され、全焼した。
  • 1990年03月、土地を巡ってトラブルとなった相手が至近距離から散弾銃で銃撃される。
  • 1994年09月、JR小倉駅の北側にあるホテルで拳銃が発砲される。ほぼ同時刻に、JR小倉駅の南側にあるホテルでもロビーで拳銃が発砲される。
  • 1994年09月、北九州市にあるパチンコ店や区役所出張所など、19件の連続銃撃事件が発生。
  • 1997年09月、漁協組合長の上野忠義さんの、北九州市若松区にある自宅が発砲された。
  • 1998年02月、上野忠義の兄で元漁協組合長の梶原国弘さんが、北九州市小倉北区の路上で銃撃され、亡くなった。
  • 2000年06~08月、自由民主党の安倍晋三衆議院議員の山口県下関市にある自宅や事務所に、火炎瓶が計5回投げ込まれる。
  • 2000年10月、福岡県京都郡にある暴力団お断りのゴルフ場の支配人が、北九州市小倉南区で刃物で刺され、重傷を負った。
  • 2001年02月、暴力団事務所の撤去運動をしていた男性が経営する、北九州市小倉北区にある商店に車が突っ込んだ。
  • 2001年12月、暴力団追放を掲げて当選した福岡県中間市長を応援した、中間市議会議員が襲撃され、重傷を負った。
  • 2002年04月、暴追運動の先頭に立つ男性が経営する、北九州市小倉北区にあるクラブ『ぼおるど』に糞尿が巻かれる。
  • 2002年08月、北九州市小倉北区にある警察官舎に駐車していた車2台のガラスが割られ、1台に手製の爆弾を仕掛けられる。
  • 2002年09月、北九州市八幡西区にある中国式エステ店が入居するビルにガソリンを撒かれて放火される。
  • 2003年05月、福岡市にあるパチンコ店に車が突っ込む。
  • 2003年05月、北九州市小倉北区にあるクラブ『ぼおるど』の支配人の男性が刃物で刺され、重傷を負った。
  • 2003年07月、福岡市にあるパチンコ店の店内で拳銃が発砲される。
  • 2003年07月、大阪府東大阪市にあるパチンコ店の店内で拳銃が発砲される。
  • 2003年08月、北九州市小倉北区にあるクラブ『ぼおるど』に手榴弾が投げ込まれ、女性従業員ら12人が重軽傷を負った。
  • 2003年09月、北九州市小倉北区にあるクラブ『ぼおるど』に実弾入りの脅迫状が届き、店は閉店した。
  • 2004年01月、北九州市小倉南区にある福岡県北九州市議会議長の自宅が発砲される。
  • 2004年04月、北九州市小倉北区にあるパチンコ店経営者の自宅が発砲される。
  • 2004年05月、北九州市小倉北区にある暴力団排除に取り組む福岡県議会議員の自宅が発砲される。
  • 2004年06月、福岡県宮若市にあるパチンコ店にトラックが突入する。
  • 2004年06月、北九州市小倉南区にある建設会社が発砲される。
  • 2004年06月、北九州市小倉北区にあるゼネコンの九州営業所が発砲される。
  • 2004年06月、北九州市小倉南区にある洋服店が発砲される。
  • 2004年09月、北九州市戸畑区にある大手物流会社の支店が発砲される。
  • 2005年08月、北九州市にあるホテルの経営者が乗る車が銃撃される。
  • 2006年07月、北九州市小倉北区にある大手建設会社の九州支店が発砲される。
  • 2006年12月、福岡市中央区にある清水建設九州支店が入居するビルが発砲される。
  • 2006年12月、北九州市小倉北区にある建設会社が発砲される。
  • 2006年12月、北九州市小倉北区にある建設会社の営業所が発砲される。
  • 2007年02月、北九州市小倉北区にある不動産会社が発砲される。
  • 2007年02月、北九州市小倉北区にある西部ガス北九州支社の新築ビルが発砲される。
  • 2007年02月、福岡市博多区にある西部ガスの本社が入るビルが発砲される。
  • 2007年04月、漁協組合長の上野忠義さんの、北九州市若松区にある長女の自宅の車内などから銃弾が発見される。
  • 2007年04月、漁協組合長の上野忠義さんの、北九州市若松区にある長男が経営する港湾土木会社が発砲される。
  • 2007年04月、北九州市門司区にある建設会社が発砲される。
  • 2007年11月、北九州市小倉南区にあるトヨタ自動車九州の、工場内の清水建設の現場事務所が放火される。
  • 2007年11月、北九州市八幡西区にある清水建設の工事現場が発砲される。
  • 2007年12月、福岡市東区にある清水建設の子会社が発砲される。
  • 2007年12月、北九州市八幡西区にある不動産業者の自宅が発砲される。
  • 2007年12月、大林組の下請けをしていた建設会社の社長が、北九州市小倉北区で刃物で刺され、亡くなった。
  • 2008年01月、福岡市博多区で大林組九州支店の営業車が発砲される。
  • 2008年02月、北九州市若松区にある港湾土木工事会社が発砲される。
  • 2008年09月、北九州市小倉南区にあるトヨタ自動車九州の工場の敷地内で手榴弾が爆発。
  • 2008年09月、北九州市小倉北区で建設会社の社長が乗る車が発砲される。
  • 2009年10月、山口県周南市にあるパチンコ店の駐車場に火炎瓶が投げ込まれる。
  • 2009年11月、山口県防府市にあるパチンコ店が放火される。
  • 2010年02月、北九州市小倉北区にある西部ガス北九州支社に実弾1発が入った脅迫文が送り届けられる。
  • 2010年03月、暴力団追放運動をしていた自治総連合会長の、北九州市小倉南区にある自宅が発砲される。
  • 2010年03月、暴力団追放を打ち出した福岡県北九州市長あてに脅迫文が送り届けられる。
  • 2010年04月、福岡市東区にある西部ガスの子会社が入居するビルが発砲される。
  • 2010年04月、福岡市南区にある西部ガスの専務の自宅周辺で連読発砲事件が起こる。
  • 2011年02月、北九州市小倉北区にある病院の建設現場の事務所が発砲される。
  • 2011年02月、北九州市小倉北区にある工事現場で清水建設の社員が銃撃され、重傷を負った。
  • 2011年03月、福岡市東区にある九州電力の会長の自宅に爆発物投げ込まれ、車庫のシャッターが破壊された。
  • 2011年03月、福岡市中央区にある西部ガスの社長の自宅に手榴弾を投げ込まれた。
  • 2011年04月、西部ガスを狙った事件を報道したNHKが、工藤會を名乗る者から脅迫電話を受ける。
  • 2011年06月、福岡県直方市にある新聞販売店が発砲される。
  • 2011年11月、北九州市小倉北区で博新建設の会長が銃撃され、亡くなった。
  • 2012年01月、福岡県中間市にある黒瀬建設中間支店の前で黒瀬建設社長が銃撃され、重傷を負った。
  • 2012年04月、暴力団捜査を担当していた元福岡県警警部の男性が、北九州市小倉南区の路上で銃撃され、重傷を負った。
  • 2012年08月、北九州市で暴力団の入店を禁じる『暴力団員立入禁止標章』制度がスタート。標章を掲げた飲食店が入る、北九州市八幡西区にある雑居ビルで不審火が発生。
  • 2012年08月、標章を掲げた飲食店が入る、北九州市小倉北区にある雑居ビルで不審火が発生。
  • 2012年08月、標章を掲げた飲食店が入る、北九州市小倉北区にある別の雑居ビルで不審火が発生。
  • 2012年08月、標章を掲げたスナックの女性従業員が、北九州市八幡西区で刃物で切り付けられた。
  • 2012年09月、標章を掲げたスナックの女性経営者が、北九州市小倉北区で刃物で切り付けられた。
  • 2012年09月、標章を掲げたスナックの女性経営者が、北九州市小倉北区で刃物で切り付けられた。助けに入ったタクシーの男性運転手も切られた。
  • 2012年09月、標章を掲げた北九州市小倉北区と八幡西区にある飲食店約70店に、標章を外すよう脅迫する電話があった。
  • 2012年09月、標章を掲げた飲食店の経営会社の男性役員が、北九州市小倉北区で刃物で刺された。
  • 2012年10月、標章を一旦外していた、北九州市小倉北区にあるスナックが放火され全焼。
  • 2012年10月、標章を掲げた飲食店が入る、北九州市八幡西区にあるビルのオーナーの自宅の門が燃やされる。
  • 2013年01月、野村四代目が通っていた美容整形クリニックの看護師の女性が、福岡市博多区で刃物で刺され、重傷を負った。
  • 2013年12月、漁協組合長の上野忠義さんが、北九州市若松区にある自宅前で銃撃され、亡くなった。
  • 2014年05月、元漁協組合長の梶原国弘さんの孫で歯科医師の男性が、北九州市小倉北区の路上で刃物で刺され、重傷を負った。
  • 2014年07月、漁協組合の関連会社の元従業員の女性が、北九州市八幡西区で刺され、ケガを負った。

これらの事件では未解決のまま時効を迎えたケースもあり、工藤會の関与が疑われるものの解決に至っていない事件もある。工藤會系組員が逮捕されたものの、無罪判決が出た事件もあった。

特に、2000年01月に野村四代目が四代目工藤會会長を襲名して以降、市民を狙った襲撃事件の数が激増していて、2000年以降に福岡県で工藤會が起こしたとみられる襲撃事件は113件あり、そのうちの半数が未解決となっていた。

主に、暴力団排除運動したか、みかじめ料を断ったか、利益供与を拒否したなどが原因で、これらの事件が起こったとみられている。

工藤會は市民への容赦ない攻撃を繰り返し、爆発物の使用も厭わず、凶悪な事件を長年に渡って行ってきたことで、北九州のイメージは非常に悪くなり、ネット民からは『北九州は修羅の国』と揶揄される事態になった。



工藤會内部での粛清が相次ぐ

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工藤會では市民への襲撃事件の他、引退した組長などが不可解な銃撃を受ける事件が多発していて、組織内部での粛清が行なわれていたとみられている。

  • 1994年07月、工藤会『二代目田中組』直方支部長だった桃田静夫(桃田組)元組長が、福岡県直方市にある自宅裏で銃撃され、亡くなった。桃田元組長は1986年頃に絶縁されていた。二代目工藤連合草野一家『三代目田中組』傘下『田上組』幹部らが逮捕され、幹部は懲役18年の判決を受けた。
  • 2007年10月、四代目工藤會諮問委員長だった徳本竜吾(徳竜組)元組長が、山口県山口市にある自宅前で銃撃され、亡くなった。徳本元組長は2002年頃に破門されて引退していた。四代目工藤會『四代目田中組』幹部が逮捕され、無期懲役の判決を受けた。
  • 2008年07月、四代目工藤會渉外委員長だった篠崎一雄(篠崎組)元組長が、福岡県須恵町にある自宅前で銃撃され、亡くなった。篠崎元組長は2006年頃に引退していた。四代目工藤會『篭縞組』幹部が逮捕され、無期懲役の判決を受けた。
  • 2008年08月、四代目工藤會若中の末松勝巳(末松組)組長の、北九州市八幡西区にある自宅が銃撃された。
  • 2008年09月、四代目工藤會『二代目津川組』の安高毅相談役が、福岡県中間市にある自宅で銃撃され、亡くなった。五代目工藤會理事長代行の木村博(二代目津川組)組長らが逮捕され、木村組長は無期懲役の判決を受けた。
  • 2012年07月、四代目工藤會総本部長だった江藤充政(二代目極政組)元組長が、福岡県筑紫野市にあるマンションの玄関ロビーで銃撃され、亡くなった。江藤元組長は2008年頃に引退していた。



桃田元組長銃撃事件

これらの事件は、組織内部での粛清や、権力闘争によるものだとみられている。

1985年頃、野村四代目は自身の親分であった工藤会『二代目田中組』の木村清純組長と対立するようになり、金をばら撒いて組員らを買収し、木村組長を引退に追い込んだという。

二代目田中組の直方支部長だった桃田組長が三代目田中組組長の最有力だったが、野村四代目が三代目田中組組長を継承。野村四代目は桃田組長を三代目田中組若頭に据えようとしたが、桃田組長は野村四代目に反発して工藤会を離脱。工藤会からは絶縁された。

その後、桃田組長は独立組織として活動を続けた後、東京方面に身を隠していたが、しばらくして福岡県直方市に戻ってきたため、銃撃されたとみられている。



溝下三代目に近かった元組長らの粛清

その他の襲撃された元組長らは、溝下三代目に近かったとみられていて、工藤會の内部では草野一家系で溝下三代目に近かった派閥と、工藤会系の田中組を中心とする派閥との間で対立があったとみられている。

1966年に工藤会の若頭であった草野二代目が無断で脱退・解散したことで、工藤会と草野一家の対立が始まり、抗争に発展。1981年に手打ち式が行われ、1987年に合併して工藤連合草野一家が結成されるまでの間、両組織の間で多数の抗争事件が起こっていた。

1979年12月、工藤会『田中組』の田中新太郎組長が、溝下三代目が率いる草野一家『極政会』の組員らに銃撃され、亡くなる事件が発生。

工藤会と草野一家の合併後、表向きは一致結束していたが、野村四代目らは出身母体である田中組の田中組長が抗争時に亡くなっていたことに対して恨みを持っていたとみられ、野村四代目や田中組派閥は、草野一家系で溝下三代目に近い組長らを快く思っていなかったのではないかと言われていた。

抗争の遺恨を乗り越えて工藤会と草野一家が合併したものの、内部では派閥対立が燻り、野村四代目は四代目工藤會会長を襲名するまでのあいだ耐え忍び、溝下三代目が亡くなった2008年07月以降、積年の恨みを爆発させ、溝下三代目に近かった元組長らが連続して襲撃されたとみられる。

襲撃された元組長らの大半はすでに引退していたが、その引退も不可解な処分によるものや、引退を強要された組長も居るという。

その他にも、草野一家系の複数の組長が引退に追い込まれていたり、複数の組織が解散させられているとされる。

溝下三代目に近かった組長らを追放・粛清した後、五代目工藤會の最高幹部は田中組の出身者や田中組派閥で独占され、溝下三代目に近かった組長はもうほとんど残っていないとみられている。



 ⇒ 工藤會の経歴シリーズ 










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