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五代目工藤會の経歴その④。長年に渡って市民へ容赦なく攻撃を繰り返し、内部での粛清も多数起こし、九州で最大級の暴力団組織となった工藤會に対して、警察や行政は対応に苦慮していた。凶悪事件を解決できない警察に市民から不満の声が上がる中、警察は工藤會の壊滅に向けて少しずつ動いていた。


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警察と工藤會の攻防

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1992年に暴力団対策法が施行されると、工藤會を含む24団体が指定暴力団となった。工藤會は指定暴力団に指定されたことを不服として、指定の取り消しを求めて訴訟を提起した。1995年09月までに、工藤會の請求は棄却され、その後に確定した。

2003年08月、北九州市小倉北区にあるクラブ『ぼおるど』に手榴弾が投げ込まれ、女性従業員ら12人が重軽傷を負う事件が発生。手榴弾を投げ込んだ工藤會『田中組』傘下『中島組』組員は取り押さえられ、圧迫死した。

この手榴弾事件を受けて福岡県警は、「市民に爆弾を投げ、工藤会は越えてはならない一線を越えた。これは市民へのテロ行為だ。徹底的に叩き潰す」と決意を表明。専従捜査班である堺町特別対策隊を発足させ、「安全で安心な小倉の街を目指すことを隊員らの決意とし、あらゆる法令を駆使して工藤会壊滅を目指す」と表明した。

福岡県警は2003年末までに、工藤會の構成員90人と準構成員等102人の計200人以上を検挙。2004年には構成員200人と準構成員292人の計約500人を検挙。全構成員のおよそ2人に1人を検挙した。

2005年04月、福岡県警は組織犯罪対策課を設置。2006年04月、福岡県警は工藤會への対策のため、北九州地区暴力団総合対策現地本部を北九州市警察部に設置した。北九州市警察部長をトップとし、捜査員を増員して捜査にあたった。

工藤會だけではなく、工藤會に利益供与している事業者や市民なども取り締まり、資金源の壊滅を目指した。

2006年、大手ゼネコンが暴力団への資金断絶を打ち出したが、これを切っ掛けにゼネコンや建設会社への発砲事件が多発することとなった。工藤會はゼネコンだけでなく、下請けの建設会社や、建設工事を発注した企業をも狙って攻撃した。

2007年02月に北九州市の北橋健治市長が初当選した後、北橋市長は暴力団の排除を強化する方針を打ち出した。北橋市長あてに脅迫状が届いたが、北橋市長は工藤會と戦う道を選んだ。

2008年11月、福岡県警は暴力団対策を検討するプロジェクトチームを発足させ、その後に暴力団排除条例を検討するプロジェクトチームを結成。2009年03月には北九州地区暴力団特別捜査室を設置。

2010年01月、福岡県警は刑事部から組織犯罪対策部門を独立させ、暴力団対策部を新設。これまで暴力団捜査を担当していた捜査第四課が、主に工藤會を担当する北九州地区暴力団犯罪捜査課と、それ以外を担当する暴力団犯罪捜査課に分離され、それぞれ暴力団対策部の下部組織となった。

2010年01月頃、工藤會は北九州市小倉南区にある建物を買い取り、長野会館の看板を掲げて組事務所として運用した。近隣住民は暴力団追放運動を行い、組事務所の撤退を目指した。

工藤會は「地元の皆様に迷惑をかけるつもりはございません。(近隣の)幼稚園、小学校等には最大限の協力、努力をさせていただきます」とするコメントを出したが、その後も暴力団追放運動は続き、暴力団追放の総決起大会には福岡県の麻生渡知事、北九州市の北橋健治市長、福岡県警の田中法昌本部長も参加。その後、2011年02月に長野会館は医療法人に売却され、組事務所は撤退した。

2010年04月、福岡県は全国で初となる暴力団排除条例を施行した。市民や業者が暴力団に利益供与することや、暴力団の威力を利用すること、暴力団員等が利益を受けることなどが禁止された。学校などの施設から200m以内の場所に新たに暴力団事務所を開設することも禁じられた。

2010年04月、警察庁の安藤隆春長官が北九州市を視察し、「あらゆる法令を駆使して工藤会を壊滅に追い込んでほしい」と指示した。

2011年04月、福岡県の麻生渡知事や北九州市の北橋健治市長らは、工藤會が起こしたとみられる爆発物の投げ込み事件などが未解決なことを受けて、法務大臣や警察庁長官に対し、従来の捜査手法では限界があるとして、通信傍受の要件緩和などの法整備を国に求めた。

2012年04月、福岡県の小川洋知事や福岡市の高島宗一郎市長らは、暴力団への規制を強化する暴力団対策法の改正案の、早期成立を求める要請書を松原仁国家公安委員長に提出。改正案では指定暴力団の中でも特に凶悪と見なされ、銃撃や火炎瓶を投げ込むなどの危険行為を繰り返す恐れのある組織を『特定危険指定暴力団』として指定できる内容が盛り込まれていた。



工藤會の反発、警察を敵対視

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工藤會は警察からの職務質問などに協力をせず、警察OBを襲撃する事件も起こすなど、警察に対して敵対心をむき出しにしていた。

1988年03月、暴力団担当だった元福岡県警警部の男性の福岡県宗像市にある自宅にガソリンが撒かれて放火され、全焼した。2002年08月、北九州市小倉北区にある警察官舎に駐車していた車2台のガラスが割られ、1台に手製の爆弾を仕掛けられた。

2006年06月、福岡県警が暴力団の勢力拡大を食い止めるため制作した、暴力団対策ビデオの『許されざる者』が、北九州市の中学校や高校に配布され、複数の学校で上映された。

工藤會は、工藤會最高顧問の林武男(林組)組長の名で、「上映を中止して欲しい。中学生や高校生向けに上映すると、暴力団員の子供達に対するいじめが誘発される可能性が懸念され、人権侵害にあたる」などとする趣旨の請願を北九州市教育委員会に郵送した。

工藤會の申し入れに対して北九州市教育委員会は、「組員の子どもに対するいじめを誘発する可能性がある」として、「中学校や高校の教職員研修に活用する。生徒に鑑賞させるかどうかは各校の判断に任せる」との見解を示し、上映に対して及び腰である態度を示した。

暴力団排除条例を施行された2010年頃から、工藤會は警察への敵対心をさらにむき出しにするようになり、警察の職務質問に対し大勢で威嚇するなどの行為を繰り返した。

工藤會は1998年頃から、『警察との接触禁止。接触すると破門・絶縁する』と下部組織に通達し、2006年頃には『警察の職務質問に応じるな』と指示を出し、その後『職務質問には応じてよいが、車内検索には応じるな』と指示していたという。

工藤會関係者が運営していたとみられるYouTubeチャンネルに、警察に違法な職務質問をされたとして、『工藤會対福岡県警』というタイトルで職務質問された際の音声を公開したこともあった。

工藤會の組員は警察の帰宅時間を待ち伏せして、『お前らのことはいつでも襲おうと思えば襲えるんやぞ』と言うような、パフォーマンス的なことを行うこともあった。

2012年04月、元福岡県警警部の男性が北九州市小倉南区の路上で銃撃され、重傷を負う事件が発生。元警部は現職時代に工藤會の捜査を30年以上も担当していた。

元警部が銃撃された後、工藤會の組員は警察に職務質問された際などに「(捜査を)やり過ぎたら元警部みたいになるぞ」などと脅しており、警察をあざ笑うかのような態度を繰り返した。

繰り返される事件に対し、加害者側だとみられた工藤會の木村博幹事長はマスコミの取材に「いっさい工藤會として関与したことはないし、そういう報告が執行部に上げられたこともない。万一、うちの会員の関与が判明したのなら、即刻その者に相応の償いをさせる」

「警察は工藤會を仮想敵に仕立て、世間を納得させようとしている。またマスコミも情けないことに、県警の報道部に成り下がって、われわれの犯行だと言い立てるか、臭わせている。あまりに目に余る場合は訴訟などで対抗する」などと答え、警察を批判するとともに事件には関与していないと明言した。



北九州市は修羅の国、警察に市民からの不満も

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工藤會は他の暴力団と比べても悪質性が際立ち、利益獲得の為には容赦なく市民を攻撃し、武器を使用することも厭わない、なりふり構わぬやり方で北九州市民を恐怖に陥れた。さらには警察をも攻撃の対象とする工藤會は、国家権力の脅威とまでなっていた。

これまで北九州市では、港湾や炭鉱などの歴史もあって、ヤクザと市民との距離は近かったとみられている。ヤクザを頼ることに罪悪感が無い市民も多く、建設業界や飲食業界などの一部が暴力団と持ちつ持たれつの関係にあり、暴力団を排除することは容易ではなかった。

福岡県警ではことあるごとに他の都道府県警から多数の機動隊員や捜査員が北九州市に派遣され、市民の警備と工藤會への捜査を繰り返すも、市民への襲撃事件が治まることはなく、工藤會が起こしたとみられる事件の大半で犯人を立件できなかった。

工藤會が傍若無人な振る舞いを繰り返すにつれ、北九州市民は工藤會に対し非常にナイーブになって行き、報復を恐れて口を閉ざす被害者も多く、工藤會の公判では証言者の大半が証言を拒否する事態も起こった。工藤會の組員を立件しても無罪判決になることもあり、凶悪事件を一向に解決できず、福岡県警の面子は丸潰れとなっていた。

2012年07月、福岡県警警部補が工藤會関係者に捜査情報を漏らす見返りとして現金を受け取って逮捕される汚職事件もあり、福岡県警は市民から信用されなくなっていった。

2012年08月、北九州市で暴力団の入店を禁じる『暴力団員立入禁止標章』制度がスタートしたが、工藤會はその標章制度に反発しており、標章が掲げられた飲食店の女性経営者の顔が斬りつけられるなど、襲撃や放火が計10件起こった。

暴力団を排除するための制度が逆に市民を苦しめる結果となり、標章を外す店舗が相次いだ。市民からは「何のために標章したのかな、無駄な税金使って」「警察も真剣にはやっているんでしょうけど、結果として出ないので市民としてガッカリ」「警察ももうちっと考えてくれんと、犯人を探すんなら徹底して探せっちゅうのに、それもまだ見つけきらんで」などの声が上がり、福岡県警の信用は失墜した。

北九州市の事業者の間では、「事件を解決できない警察に協力するより、工藤會の要求に従ってお金を渡したほうが身のため」という空気が蔓延してしまうこととなった。

東京に本社がある企業は、「暴力事件のニュースが時々出るようでは進出したくても出来ない」などとして北九州市への進出をためらい、北九州市内の不動産開発も滞り、経済や産業へのダメージも少なくなかった。北九州市の未来に希望が見えず、市民は落胆していた。

北九州市で拳銃や爆発物を使った事件が繰り返され、工藤會の武器庫からロケットランチャーが発見されたこともあり、さらには道仁会と九州誠道会の抗争も相まって、ネット民からは『北九州市(および福岡)は修羅の国』という不名誉なレッテルを貼られ、『北九州市は手榴弾が普通に落ちている街』『転勤者は防弾チョッキ必携』などとネタにされてしまう事態になった。



警察と工藤會の全面対決へ

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2012年04月に発生した元福岡県警警部銃撃事件の後、福岡県警は全国から機動隊員の応援を受け、最大530人の隊員が集結。警察の威信にかけ、市民からの信頼を取り戻すべく、警察は工藤會との全面戦争に向けて本格的に動き出した。

松原仁国家公安委員長は元警部が撃たれた現場を視察し、「法治国家への重大な挑戦だ、断固として許せない。犯人がわからず内心忸怩たる思い、県警は全力で取り組んでほしい」などとコメント。工藤會との対決姿勢を鮮明にした。

2012年10月に改正暴力団対策法が施行され、2012年12月に工藤會は日本で唯一の特定危険指定暴力団に指定された。警戒区域で禁止行為に該当する不当要求を行うと、中止命令等を経ずに刑罰が課せられる。警戒区域には福岡県が北九州市、中間市、福岡市など7市11町。山口県は下関市など3市が設定された。

2013年01月、工藤會は指定暴力団よりもさらに厳しい制限が課せられる特定危険指定暴力団に指定されたことについて、「暴力団に対する差別で法の下の平等に反する。集会・結社の自由を保障する憲法に反しており、違法」だとして、特定危険指定暴力団の指定の取り消しを福岡県と山口県に求める行政訴訟を起こした。

2015年07~11月、特定危険指定暴力団の指定の取り消しを求めた裁判で、福岡地裁は「差別目的とは認められず規制は合理的で、指定処分は適法」だとし、山口地裁は「凶器を使い重大な危害を加える恐れがあることは明らか。手続きも適法になされている」だとして、工藤會の請求を棄却している。

2013年01月、警察庁の米田壮長官は五代目工藤會を『凶悪テロ集団』と位置づけ、全国から延べ2万人もの機動隊員を北九州へ派遣した。工藤會組員への職務質問などを徹底させて組員の動きを牽制し、その間に福岡県警の捜査員が未解決事件の捜査に集中出来るようにした。

福岡県警はあらゆる手法を使って事件の解決と野村四代目らの逮捕を目指した。膨大な量の防犯カメラの映像を分析し、実行犯などを特定。指揮命令系統を立証するため、通信傍受を活用して証拠を集めた。上納金の脱税での立件も目指し、警察、検察、国税が連携して捜査にあたった。

2013年12月、福岡県警の樋口真人本部長は「工藤會対策の帰趨は、今後の暴力団対策に重大な影響を与えると考えております。工藤會対策は、私は引き分けでは終われない、警察にとっても、社会にとっても正念場であると考えております。県警が前面に立って暴力団を壊滅すべく、本部長として頑張っていきたいと思います」などとコメントした。

2014年07月、アメリカ財務省は「工藤會は世界最大の犯罪組織であるヤクザの中でも最も凶暴な団体」として、五代目工藤會、野村四代目、田上五代目を経済制裁の対象として追加指定した。アメリカ国内の資産が凍結され、アメリカ国民との取引が出来なくなった。日本の暴力団組織が制裁対象になるのは山口組、住吉会、稲川会に続いて4団体目となった。

そして2014年09月、福岡県警は工藤會壊滅作戦を実施し、野村四代目ら最高幹部を次々に逮捕。工藤會は壊滅へ向かって行く。



 ⇒ 工藤會の経歴シリーズ 










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