指定暴力団「旭琉会」が二代目体制へ 組本部で代替わりの盃事 沖縄県警は警戒強める

2025年02月08日、沖縄の独立組織である旭琉會が、代替わりの儀式を行い、二代目旭琉會が発足した。旭琉會では2019年に初代会長が亡くなっていたが代替わりは行わず、暫定体制での運営が続いていた。


スポンサーリンク


指定暴力団「旭琉会」が二代目体制へ 組本部で代替わりの盃儀式 沖縄県警は警戒強める
2025年02月09日 04:00

(琉球新報) https://ryukyushimpo.jp/news/entry-3945604.html

沖縄の暴力団「旭琉會」のトップに糸数氏が就任 前会長の死去から5年半 継承式に関係者が次々、県警が警戒
2025年2月9日 7:26



(沖縄タイムス) https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1523106

沖縄暴力団・旭琉會新会長が6団体あいさつ回り“ご祝儀”は「全部で数千万円」の大盤振る舞い
2025.02.16 17:41

(FLASH) https://smart-flash.jp/sociopolitics/330145/1/1/

六代目山口組、司組長と髙山若頭“TOP2”が「40分密談」…ヤクザ界で囁かれる後継問題の算段
2025.02.16 17:35

(FLASH) https://smart-flash.jp/sociopolitics/330128/1/1/

六代目山口組を沖縄暴力団新会長が来訪、直後に開かれた「40分密談」でささやかれる“代替わり”へのカウントダウン
2025.02.18 17:55

(FLASH) https://smart-flash.jp/sociopolitics/330406/1/1/

特異な系譜を継ぐ「沖縄ヤクザ」に全国の警察が注目する理由
2025年03月05日

(週刊プレイボーイ) https://wpb.shueisha.co.jp/news/society/2025/03/05/126228/

《親子盃を交わして…》沖縄の指定暴力団・旭琉會「襲名式」に潜入 古い慣習を守る儀式の一部始終、警察キャリアも激高した沖縄ヤクザの暴力性とは
2025.03.16 11:00

(週刊ポスト) https://www.news-postseven.com/archives/20250316_2028476.html


このニュースのまとめ

  • 2025年02月08日、沖縄を拠点とする独立組織の旭琉會が、沖縄県中頭郡北中城村島袋にある本部事務所にて代替わりの盃を行う継承式を開催した。
  • 旭琉會では富永清初代会長が2019年に亡くなっていたが、代替わりはせず、2022年に幹事長だった二代目照屋一家の永山克博総長が暫定代表に就いていた。
  • 本部事務所には旭琉會の最高幹部らが集結し、沖縄県警の捜査員ら数10人が周辺の警戒に当たった。
  • 継承式では、理事長だった三代目富永一家の糸数真総長が二代目会長を襲名し、二代目旭琉會が発足したとみられている。
  • 二代目旭琉會の新体制は、本部長だった知念秀視(二代目沖島一家)総長が理事長に、幹事長だった狩俣重三(二代目功揚一家)総長が本部長に、三代目富永一家若頭だった新垣修が四代目富永一家総長を継承して組織委員長に、直参だった上原芳正(二代目志多伯一家)総長が理事長補佐にそれぞれ就任。事務局長には満元幸次(三代目ナニワ一家)総長が続投したとみられる。
  • 2011年に旭琉會が発足した際にあった傘下の2次団体は21団体だったが、現在は17団体になったという。


旭琉會の経歴

IMG_6552

旭琉會は、戦後に沖縄の不良を中心として複数の愚連隊が結成されたが、対立抗争を繰り返し、第1次~第3次沖縄抗争を経て、1970年に大同団結して結成された沖縄連合旭琉会がルーツ。

その後、三代目山口組との抗争である第4次~第5次沖縄抗争が勃発し、その最中の1976年に二代目体制となり、沖縄旭琉会へ改称。1983年には三代目体制となり、三代目旭琉会に改称。

1990年に三代目旭琉会の富永清理事長が内紛から三代目旭琉会を絶縁され、独立して『沖縄旭琉会』を設立。沖縄の暴力団は分裂し、三代目旭琉会と沖縄旭琉会による第6次沖縄抗争が勃発した。

1992年には両団体とも指定暴力団に指定された。次第に抗争は落ち着き、冷戦状態となる。2010年に四代目旭琉会が発足する際、沖縄旭琉会の富永清会長が四代目会長の後見人となり、冷戦状態だった両団体は接近する。

2011年に四代目旭琉会と沖縄旭琉会が一本化し、沖縄旭琉会が四代目旭琉会を吸収する形で『旭琉會』が発足。富永清会長が旭琉會の会長に就き、約21年ぶりに沖縄の暴力団は再び統一された。

2019年07月、富永清会長が逝去。以後、旭琉會は5年半にわたって暫定体制で運営された。



スポンサーリンク