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六代目山口組幹部を務める五代目山健組の中田浩司組長は、三代目山口組『山健組』系組織で渡世を開始し、2018年に神戸山口組『五代目山健組』組長を継承。六代目山口組から分裂して結成された神戸山口組で若頭代行を務めたが、2020年07月に離脱し、2021年09月に六代目山口組へ移籍した。

中田組長は、2019年08月に発生した六代目山口組『三代目弘道会』神戸事務所の前で組員が銃撃された事件の実行犯とみられて逮捕され、勾留が続いている。


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中田浩司組長の経歴

中田組長は1959年生まれ、出身は和歌山県御坊市だと言われている。暴走族を経て、1977年頃に三代目山口組『山健組』系組織に加入。

1981年頃、後に五代目山口組組長を襲名する渡辺芳則組長が山健組内で結成した健竜会の部屋住みとなり、その後に渡辺組長の運転手を務めた。渡辺組長から竜心会の名を授かり、健竜会内で竜心会会長に就任。

1984年に対立組織の幹部を銃撃した事件が発生し、1986年にこの事件の首謀者として逮捕される。長期服役中に三代目健竜会若頭補佐となり、2000年に出所。その後、四代目健竜会若頭となった。

2005年08月に四代目健竜会の井上邦雄会長が四代目山健組組長を継承すると、中田組長は五代目健竜会会長を継承。四代目山健組の直参に昇格し、四代目山健組若中に就任。その後、四代目山健組若頭補佐に起用される。


五代目山健組を継承

2015年08月、六代目山口組から四代目山健組を中心に10数団体の直系組織が離脱し、離脱組で神戸山口組を結成。中田組長は所属している四代目山健組に準じて神戸山口組の所属となった。神戸山口組組長は四代目山健組の井上邦雄組長が兼任し、四代目山健組は神戸山口組の中核組織となった。

その後、中田組長は神戸山口組傘下となった四代目山健組で若頭代行、若頭を歴任。四代目山健組の最高幹部となった。

2018年05月、神戸山口組の井上組長が兼任していた四代目山健組を代替わりさせ、中田組長が五代目山健組組長を継承。神戸山口組の若中となり、2018年07月に神戸山口組若頭補佐に起用され、2018年11月には神戸山口組若頭代行に就任した。

2019年08月、六代目山口組『三代目弘道会』神戸事務所の前で組員が銃撃される事件が発生すると、12月にこの事件の実行犯として中田組長が逮捕された。


六代目山口組へ移籍

2020年07月、勾留中の中田組長は神戸山口組からの離脱を表明し、五代目山健組は独立組織となった。中田組長は神戸山口組の井上組長と組織運営を巡って対立していたことが離脱の背景にあるとされ、長年仕えて来た親分の井上組長と袂を分かった。

離脱に反対する五代目山健組の幹部らが神戸山口組に残留したため、五代目山健組は分裂。中田組長は神戸山口組に残留した幹部らを処分し、09月には中田組長が逆に神戸山口組から処分された。

2021年09月、独立組織となっていた五代目山健組は六代目山口組に加入し、中田組長は六代目山口組幹部に就任している。


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