
2023年01月12日、自民党の野田聖子衆議院議員の夫が、警察庁幹部から虚偽の情報をリークされたことにより、自身が元暴力団員だと週刊文春に報じられ、名誉を傷つけられたとして、国に1100万円の損害賠償を求めて提訴した。
野田聖子さんの夫は、暴力団に所属した事実は無いなどとして、週刊文春の発行元などを相手に損害賠償を求めて提訴し、最高裁まで争ったが、「元暴力団員だとする箇所は真実であると認められる」と認定されていた。
野田聖子さんの夫は、元暴力団員だとする情報源が警察庁の内部文書で、その内容は間違っており、警察庁幹部がその内部文書を週刊文春の編集長に情報漏洩していた、と主張している。
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【速報】野田聖子衆議院議員の夫が国賠訴訟 週刊文春の「夫は元暴力団員」記事巡り「警察庁幹部が虚偽情報を漏洩」
2023年1月12日(木) 15:06
(TBS) https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/272181?display=1
野田聖子議員の夫が国を提訴
2023年01月12日 19:50
(テレビ東京) https://txbiz.tv-tokyo.co.jp/txn/news_txn/post_266299
自民党・野田聖子議員の夫が国を提訴 警察庁幹部が週刊文春側に「ウソの情報」漏らしたと訴え
2023年1月12日 22:13
(日本テレビ) https://news.ntv.co.jp/category/society/3069a5490b5043828f625090ad8fdc3a
このニュースのまとめ
- 2023年01月12日、自民党衆議院議員の野田聖子さん(62)の夫である野田文信さん(55)が、警察庁幹部からの違法な情報リークによって、自身が元暴力団員だとする虚偽の記事を週刊文春に報じられたとして、国を相手に1100万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴し、元暴力団員の根拠となっている、リークされた警察庁の『暴力団個人ファイル』の開示を求める訴訟も起こした。
- 野田文信さんをめぐっては、2017年09月に週刊文春が会津小鉄会『昌山組』元幹部だったと報じ、2018年07月には週刊文春と週刊新潮が、野田聖子事務所が仮想通貨(暗号通貨)をめぐって金融庁に圧力を掛け、その裏で野田文信氏が関与しているという疑惑を報じた。
- 野田文信さんと野田聖子さんは疑惑を否定し、野田文信さんは両週刊誌から名誉を傷付けられたとして、週刊文春を発行する文芸春秋と、週刊新潮を発行する新潮社に、それぞれ1100万円の損害賠償を求めて提訴。裁判では、証人尋問に昌山組元組長が出廷し、野田文信さんが当時組員であったことを証言した。
- 週刊文春と週刊新潮の双方の裁判の判決で、1審、2審ともに記事内の野田文信さんが元暴力団員だとする部分は真実性があると認定されたが、週刊文春には一部名誉毀損が認められるとして、1審で110万円の支払いが命じられ、2審で55万円に減額された。最高裁で野田文信さんの上告が棄却され、野田文信さんが元暴力団員であることと、週刊文春の55万円の支払いが確定していた。
- 訴状などによると、前回の訴訟の中で、週刊文春の当時の編集長が警察庁幹部から自身の前歴照会情報を入手していたと明かし、警察庁の内部文書の『暴力団個人ファイル』が証拠として提出されていた。過去に暴力団に所属したことは無く、警察のファイルは間違った情報で、虚偽の情報が管理・放置されていた上、正当な理由なく元暴力団員だとする誤った情報が週刊誌に提供されたことは、国において管理する秘密を不正に漏洩する行為で、名誉を傷つけられ、プライバシー権が著しく侵害された、などと主張している。
- 野田文信さんは野田聖子さんと弁護士とともに東京都内で記者会見し、野田文信さんは「事実でないことが報道されている中で、自分がそういう(暴力団)組織に属していなかったので、自分の名誉を挽回させるために、という思いです」と述べ、野田聖子さんは「真実は1つしかありません。夫がそう(元暴力団員)では無いということ。私は最初から今までずっと信じて、取り組んでいますので、息子の名誉をしっかり守るために頑張りたい」と述べた。
- 代理人の弘中惇一郎弁護士は「警察が裏で作っている『暴力団個人情報ファイル』は、一体どんな証拠に基づいてどの程度のレベルのことを集めているのか全く分からない。そういうことをリークしたことは大きな問題だ」とコメント。警察庁は「訴状が届いていないのでコメントは差し控える」としている。
野田聖子議員について

自民党の野田聖子衆議院議員(出典 総務省)
野田聖子議員は1960年生まれ、福岡県北九州市の出身。上智大学を卒業後、帝国ホテルに入社しフロント業務などに従事した。24歳頃、大蔵次官から政治家に転身し、複数の閣僚を歴任した後に引退していた、母方の祖父である野田卯一の養子となり、野田姓となる。
1987年に自民党公認で岐阜県議会議員選挙に出馬し、当選。1990年に旧岐阜1区から衆議院議員選挙に出馬するも、自民党の公認が得られず無所属だったため、落選。1993年に再び旧岐阜1区から自民党の公認を得て衆議院議員選挙に出馬し、国政初当選を果たした。
小選挙区制度に移行してからは岐阜1区を地盤とし、現在までに連続当選10回。1996年の第2次橋本内閣で郵政政務次官。1998年の小渕内閣で郵政大臣に就任し、史上最年少閣僚となった。
2005年に郵政民営化法案に反対票を投じ、衆議院議員選挙では自民党の公認を得られず、無所蔵での立候補となり、さらに刺客として佐藤ゆかりが送り込まれたが、小選挙区で勝利し、議席を守った。
その後に再度提出された郵政民営化法案では、地元から法案へ賛成するよう強く要望があったため、賛成票を投じたものの、自民党から離党勧告がなされ、自民党を離党した。2006年に郵政法案造反組の復党が検討され、自民党に復党した。

自民党の野田聖子衆議院議員(出典 総務省)
野田聖子議員は1960年生まれ、福岡県北九州市の出身。上智大学を卒業後、帝国ホテルに入社しフロント業務などに従事した。24歳頃、大蔵次官から政治家に転身し、複数の閣僚を歴任した後に引退していた、母方の祖父である野田卯一の養子となり、野田姓となる。
1987年に自民党公認で岐阜県議会議員選挙に出馬し、当選。1990年に旧岐阜1区から衆議院議員選挙に出馬するも、自民党の公認が得られず無所属だったため、落選。1993年に再び旧岐阜1区から自民党の公認を得て衆議院議員選挙に出馬し、国政初当選を果たした。
小選挙区制度に移行してからは岐阜1区を地盤とし、現在までに連続当選10回。1996年の第2次橋本内閣で郵政政務次官。1998年の小渕内閣で郵政大臣に就任し、史上最年少閣僚となった。
2005年に郵政民営化法案に反対票を投じ、衆議院議員選挙では自民党の公認を得られず、無所蔵での立候補となり、さらに刺客として佐藤ゆかりが送り込まれたが、小選挙区で勝利し、議席を守った。
その後に再度提出された郵政民営化法案では、地元から法案へ賛成するよう強く要望があったため、賛成票を投じたものの、自民党から離党勧告がなされ、自民党を離党した。2006年に郵政法案造反組の復党が検討され、自民党に復党した。
2008年の福田改造内閣~麻生内閣で内閣府特命担当大臣(消費者、食品安全、科学技術)、宇宙開発担当。2017年の第3次安倍第3次改造内閣で総務大臣、女性活躍担当、内閣府特命担当大臣(マイナンバー)に就任。続く第4次安倍内閣で総務大臣、女性活躍担当、内閣府特命担当大臣(マイナンバー、男女共同参画)に就任。
2021年の岸田内閣で内閣府特命担当大臣(地方創生、少子化対策 男女共同参画)、女性活躍、こども政策、孤独・孤立対策に就任し、2022年に退任。
自民党では、国会対策副委員長、政務調査会副会長、筆頭副幹事長、総務会長、幹事長代行、岐阜県連会長などを歴任。衆議院では、議院運営委員会議事進行係、災害対策特別委員長、予算委員長などを歴任。派閥は新政策研究会~番町政策研究所(河本派~高村派)に所属していたが、2003年に退会し、現在は無派閥。
自民党総裁選には、2015年に出馬に意欲を見せたが、推薦人20人の確保が出来ず、断念。2018年にも総裁選への意欲を見せたが、推薦人20人が集まらず断念。2021年には推薦人20人が集まり、総裁選に初出馬したものの、4人中4位で落選した。
プライベートでは、2001年に参議院議員の鶴保庸介(保守党→自民党)との事実婚を発表したが、2007年に解消。不妊治療に取り組んでおり、2010年にアメリカにて卵子提供を受け、体外受精にて妊娠し、2011年に男児を出産。2011年に事実婚状態だった野田文信さんと結婚している。
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コメント
コメント一覧 (2)
アイゴーーー
yamaguchi893
が
しました
yamaguchi893
が
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