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元山口組系幹部で作家の沖田臥竜さんとはいったい何者なのか、ネットや週刊誌などの情報を基に経歴をまとめてみる。

沖田さんは六代目山口組『二代目大平組』で最高幹部を務めたが、2014年に引退して作家に転身。山口組の分裂以降、ウェブメディアや週刊誌などで多数の記事を執筆し、山口組分裂に関する書籍や、小説などの著書を発売している。


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不良少年からヤクザの道へ

沖田臥竜(おきた がりょう)さんは1976年02月生まれ、兵庫県尼崎市の出身(生まれは伊丹市)。実家は自営業で商店などを経営していて、比較的裕福な家庭だったという。

少年の頃から不良となり、15歳で暴走族へ加入した後、16歳で右翼団体に入った。言うことを聞かない沖田さんに手を焼いた両親が、右翼の塾長に相談し、無理やり右翼団体に預けられたとされる。

18歳頃に暴走族を引退したが、ある事件を起こしてしまい、尼崎を離れて2年間の潜伏生活をしていたという。20歳を迎えて尼崎に帰ってきたが、逮捕状が出ていたため逮捕されたという。

尼崎に戻ってきた後、暴走族の先輩がヤクザをやっていたこともあって、1997年頃に21歳で自然とヤクザの道に入った。五代目山口組『松野組』傘下『緒方組』傘下『上田会』の組員だったとみられている。

暴力団に加入して間もなく、傷害致死と死体遺棄の罪で逮捕され、約8年間服役し、29歳で出所。それから半年後に別の事件でまた逮捕され、約4年間服役し、34歳で出所。これまでの前科の合計は8犯で、通算12年を獄中で過ごした。


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暴走族時代の沖田氏(出典 R-ZONE)



二代目大平組の最高幹部となる

2005年08月に六代目山口組が発足すると、二代目松野組組長は引退し、二代目松野組は解散した。二代目松野組の組員の大半は、出身母体である二代目大平組へ移籍して行った。

沖田さんは2回目の懲役を務めていたが、所属していた上田会に準じて二代目大平組へ移籍。服役中に六代目山口組『二代目大平組』傘下『上田会』の若頭になったとみられる。

出所してからは、ヤクザを続けながら尼崎で飲食店の経営などの仕事をしていた。2011年09月頃に二代目大平組の直参に昇格し、二代目大平組組長付きに起用された。その後、二代目大平組若頭補佐を経て、2012年頃に二代目大平組若頭代行に就任。

この頃には各都道府県で暴力団排除条例が施行されていて、ヤクザは銀行口座が作れなくなったり一般人との交際が制限されるなど、ヤクザ社会を取り巻く環境は厳しくなっていた。沖田さんは元々からシノギがあまり上手くなく、メシが食えなくなって行ったが、二代目大平組の中村天地朗組長は沖田さんに目を掛け、会費を免除するなどの厚遇を施したという。

2013年09月頃に二代目大平組の中村組長と若頭が逮捕されて不在になると、沖田さんが組長に代わって六代目山口組本家の定例会や、阪神ブロック会議に代理出席したりと、二代目大平組の最高幹部となった。


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六代目山口組若中の中村天地朗二代目大平組組長と沖田氏





ヤクザから引退、作家として再出発

2014年05月、二代目大平組の中村組長は渡世から引退し、二代目大平組は解散した。沖田さんは親分である中村組長の引退に合わせて、自身もヤクザから引退して堅気となった。

21歳で服役するまで、書籍はマンガしか読んでいなかったが、刑務所の中で本を読むことを覚え、浅田次郎の短編小説『鉄道員(ぽっぽや)』と出会った。ぽっぽやを読んで「文字でこんなにも人を感動させれるのか」と感銘を受け、ミステリー小説やハードボイルドなどを中心に1000冊以上の書籍を刑務所内で乱読。

刑務所の独居房で自ら小説を書き始め、「仮にヤクザを辞めたら作家になろう」と考えるようになったという。

引退から約1年経った2015年06月頃から、アウトロー情報を中心としたニュースサイト『R-ZONE』にて記事を執筆し、作家としての活動を本格化させる。ペンネームである沖田の名は、新選組で活躍した幕末の武士である沖田総司に肖って付けたという。

10年近くの月日をかけて執筆した連載小説『死に体』、沖田さんと兄弟分である大阪市生野区出身のアウトロー『文政』を主人公にした連載『生野が生んだスーパースター 文政』、沖田さんが原作で山口組分裂をモチーフにしたとみられる連載漫画『カリスマ』、などの作品をR-ZONE内で展開した。





元極道の経歴を活かした記事を執筆

2015年08月末に六代目山口組が分裂して神戸山口組が結成されたこともあって、ライターとしても記事を多数書いている。沖田さんは元ヤクザの肩書で文章を書くことを躊躇ったが、知り合いの編集長から「それで売り出さないと、あなたに価値はない!」と言われ、しぶしぶ元ヤクザの肩書でヤクザをテーマにした記事を執筆するようになったという。

R-ZONEの他に、週刊誌『週刊SPA!』のウェブサイト『日刊SPA!』や、サイゾーが運営するニュース情報サイト『Business Journal』などに記事を寄稿。

週刊誌や新聞にも活動の幅を広げ、『夕刊フジ』や『東京スポーツ』などの夕刊紙やスポーツ新聞、『アサヒ芸能』や『週刊SPA!』や『週刊ポスト』などの週刊誌に、インタビューや執筆記事が掲載された。

山口組分裂抗争の真相に迫る記事だけでなく、自身がヤクザをしていた頃の話なども執筆している。2011年08月に二代目大平組の本部事務所内で殺人事件が起こっていて、当時、この事件はメディアで報じられたが、暴力団事務所の中で口論の末に起きた事件ということしか載せられておらず、背景がほとんど分からなかった。

事件から約6年経ち、事件の関係者であった沖田さんはこの事件の真相をエッセイ風に書き上げ、日刊SPAに掲載された。一般人には知り得ることが出来ない、自身が経験したヤクザ組織内部の出来事を明かすなど、元極道の経歴が活かした文筆活動をしている。

その他、時事ネタや社会事件などにも言及しており、角田美代子が主犯の尼崎連続変死事件など、独自の視点から分析している。





 ⇒ 沖田臥竜の経歴 後編 




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