山下昇
六代目山口組若頭補佐に昇格した極粋会の山下昇会長

2024年01~02月、六代目山口組が人事を行い、六代目山口組若頭補佐を務める十一代目平井一家の薄葉政嘉総裁が幹部に降格し、六代目山口組幹部を務める極粋会の山下昇会長が若頭補佐に昇格したと伝えられた。

今年に入って行われた六代目山口組の人事と、起用された組長らの簡単な経歴をまとめた。


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「司忍組長」82回目の誕生日会の模様と「薄葉若頭補佐」降格人事
2024年02月02日

(週刊新潮) https://www.dailyshincho.jp/article/2024/02020602/?all=1

6代目山口組・高山若頭の「秘書役」がいよいよ若頭補佐に昇格
2024年03月04日

(週刊新潮) https://www.dailyshincho.jp/article/2024/03040550/?all=1

「ディズニーランド旅行で逮捕」「2000万円返還訴訟」6代目山口組の若頭補佐だった直参組長について今囁かれている
2024年04月04日

(週刊新潮) https://www.dailyshincho.jp/article/2024/04040550/?all=1


このニュースのまとめ

  • 2024年01月26日、六代目山口組若中を務める三代目岸本組の野元信孝組長が、六代目山口組事務局次長に就任した。
  • 2024年01月27日、六代目山口組若頭補佐を務める十一代目平井一家の薄葉政嘉総裁が、六代目山口組幹部に降格した。
  • 2024年02月21日、六代目山口組幹部兼若頭付を務める極粋会の山下昇会長が、六代目山口組若頭補佐に昇格した。
  • 2024年02月28日、六代目山口組幹部兼組織委員を務める六代目豪友会の加藤徹次会長が、六代目山口組若頭付に就任した。


各組長の簡単な経歴

三代目岸本組の野元信孝組長は、狩谷組~加藤組~岸本組を経て1991年に五代目山口組の直参に昇格した古庄三郎組長が率いる古庄組の出身で、2004年に古庄組長が引退した後、二代目古庄組組長を継承して兵庫県神戸市に本部を置く岸本組に所属した。

岸本組の岸本才三組長は、三代目山口組若頭補佐を務めた中山一美組長が率いる中山組の出身で、公務員を務めながらヤクザに入った。1973年に内部昇格で三代目山口組の直参に昇格。四代目~六代目山口組で本部長、総本部長、最高顧問を歴任し、2007年10月に引退。

岸本組で本部長、若頭を務めた清水武組長が二代目岸本組組長を継承したが、2017年11月に清水組長は病没。二代目岸本組若頭を務めていた野元組長が三代目岸本組組長を継承し、六代目山口組の直参に昇格していた。

薄葉政嘉総裁が率いる十一代目平井一家は、幕末から続く名門組織で愛知県豊橋市に本部を置いている。1962年に平井一家が中心となって三河地方の博徒・的屋12団体が糾合し愛豊親和会が結成され、1979年頃に愛豊同志会、鉄心会、中京浅野会の3団体が糾合し運命共同会を結成。

さらに1986年には運命共同会、瀬戸一家、稲葉地一家、導友会、平野家一家の5団体による親睦団体の中京五社会が結成された。中京地区で勢力を伸ばす山口組傘下の弘田組~弘道会に対抗していたが、1991年の名古屋抗争で弘道会に押されて中京五社会は解散。十代目平井一家の岸上剛史総裁は五代目山口組へ加入し、平井一家は山口組の傘下組織となった。

岸上総裁は総本部当番長、幹部、組長付などを務めたが2009年11月に亡くなり、十代目平井一家で若頭を務めていた薄葉総裁が十一代目平井一家総裁を継承し、六代目山口組の直参に昇格。幹部、組長付などを経て、2019年10月に若頭補佐に起用されていた。

極粋会の山下昇会長は、山口組『山健組』傘下だった極心連合会の出身。極心連合会の橋本弘文会長は1963年頃に大阪の独立組織であった南一家『吉田組』にて渡世を開始し、吉田組が程なく解散すると自身で極心連合会の前身となる橋本組を結成。しばらく独立組織として活動した後、1976年に三代目山口組若頭だった山本健一組長が率いる山健組に加入。

橋本会長は山健組で若頭補佐、若頭、組長代行を歴任し、2005年04月に五代目山口組の直参に昇格。直参昇格後すぐに若頭補佐に起用され、2005年に発足した六代目山口組でも引き続き若頭補佐を務め、2012年04月には統括委員長に就任。

山下会長は極心連合会の若頭や舎弟を経て、自身で結成した大阪府東大阪市に本部を置く極粋会を率いて、2013年10月に内部昇格で六代目山口組の直参に昇格。2019年08月に幹部に起用された。山下会長は橋本会長とともにタレントの島田紳助さんと親交があったとされている。

加藤徹次会長が率いる六代目豪友会は、三代目山口組『中井組』組員だった中山勝正組長が結成した自動車愛好会が前身で、1961年頃に豪友会に改称。高知県高知市に本部を置いている。

中井組の中井啓一は中井組を結成した後、1957年に高知市議会議員選挙に出馬して当選し、1期務めた。1958年に三代目山口組に加入し、舎弟となった。中山会長は1972年に内部昇格で三代目山口組の直参に昇格し、1977年に若頭補佐に就任。

1984年06月に四代目山口組の竹中正久組長の襲名に反対する勢力が山口組を離脱し、離脱組で一和会を結成すると、中井組長は一和会に参加した。中山会長は四代目山口組で若頭に抜擢され、山口組のナンバー2となったが、1985年に中山会長は竹中組長らとともに、一和会との抗争でヒットマンに銃撃されて亡くなった。

その後、豪友会は山口組の直系組織として系譜が続いている。加藤会長は豪友会傘下で香川県高松市に本部を置く坂井組の四代目組長を継承し、五代目豪友会で若頭補佐や若頭を歴任。2014年02月に五代目豪友会の山本克博会長が引退すると、加藤会長が六代目豪友会会長を継承。2018年04月に幹部に起用されていた。


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